随後、仏陀継続開示:「阿難、我没有看到任何一種変易的色法
不会導致貪恋及耽楽於它的人感到愁、悲、苦、憂、悩。」
上記の(=仏陀の)開示の意味は:
群体を楽しむ者は、特別の素質を成就する事ができないと
指摘した後、仏陀は言う:「アーナンダ、私は見たことがない
云々。」そして、(=人々の)間違いがどこにあるのかを
(=仏陀は)言う。
ここで、色と言われている身体は、多くの微小な粒子または
色聚によって構成されている。もし、比丘が系統的にそれら
を識別するならば、彼はそれらの中の究竟色法(paramattha-rūpa)
を見る事ができる。それらの生滅は非常に迅速で、一たび生起する
や否や、即刻、滅尽する。故にそれらは無常である。もし人が、
智でもって、この本質を照見することができないならば、
貪欲によって、色に於いて楽しむということが起こる。
もし、彼がそのように為すならば、彼は色が変化するということ
によって、愁、悲、憂、悩を感じることになる。
故に仏陀は:「私は、いかなる変易の色法であっても、貪恋及び
それに耽溺して楽しむ者に、愁、悲、苦、悩を感じさせないと
いう事を見たことがない。」と言う。
例えば、シャーリプトラとモッガラーナがサンガに入団して、
仏弟子になったというこの変化の為、(彼らの以前の師である)
サンジャヤは、愁、悲、苦、悩を感じた。
在家居士のウパーリは、仏陀と仏法について語りあった後、
仏陀の弟子になったが、この変化も、同じく(彼の以前の師で
あった)ナータプッタに悲痛を与えた。当時のナータプッタは、
尼乾達教(=ジャイナ教)の創始者で、ウパーリは彼の大弟子
であった。ある日、ウパーリは、出かけて行って仏陀に多くの
質問をし、仏陀は多くの、明晰な例を挙げて説明したので、
彼は非常に満足した。この問答の部分の経は、《ウパーリ経》と
呼ばれる。ウパーリは、当該の経を聞き終わった後(初果須陀洹
を証して)仏陀の弟子になった。以上が、注疏に書かれている
解説である。(= )訳者。(つづく)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)