パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-21
近行定の段階では、諸禅支が未だ相当に弱い為、有分心が非常に
頻繁に生起する。しかし、安止定の段階になると、諸禅支は、
ジャーナを一定時間維持できるほどに、強くなる。
ここで言う有分心とは何か?
《アビダンマ論》に基づいて簡単に説明すると、心は二種類に分ける
事ができるが、それは心路過程心(vīthicita)と離心路過程心
(vīthimuttacitta)である。
心路過程とは、生命の中で、心の流れが活発な一面を持つものである;
離心路過程心は、結生、有分及び死亡の時に出現する不活発な心である。
心路過程が生起していない時、有分心が生起するが、それは前の世の
臨死の時に出現した目標を縁とする。心路過程が再度生起する時、
有分心は停止する。有分心の生起は、心の流れを停止させないためであり、
ゆえに、有分と呼ばれるが、すなわち、生命の相続流または生命の成分
の事である。
それは、過去世において造られた業力が引き寄せ、生じさせた果報心
である。それは、現在の目標を縁に取ることができず、ただ過去の
目標を縁とし、ゆえにそれは、不活発な心、または離心路過程心、である。
このようであるから、それは安般似相などを目標とすることができない。
近行定の段階では、諸禅支が未だ相当に弱く、長時間定力を維持できない為、
有分心はこの段階においても、非常に頻繁に生起する。もしそれが、
何分間か継続して生起すると、修行者は自分がなんらの目標も認識
しない、と思ってしまう。
なぜか?
有分心は、現在の目標、例えば、安般似相等々を縁に取ることが
できないからである。それはただ、前世の臨終の時に出現した
過去の目標しか縁とすることができないのである。
縁起の修習をすると、多くの修行者はこの事が理解できるよう
になる。故に、有分心を暫定的に生起させないためには、
あなたは強くて力のある正念でもって、安般似相を専注しなければ
ならない。もし、有分心を調伏することができ、かつ、安般
似相を深く専注する事ができたならば、あなたは、久しから
ずして、ジャーナを証する事ができる。
これが初禅で、その中には五禅支がある。それらは非常に強く、
あなたをして、長い時間ジャーナを維持させる事ができる。
(つづく)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)