南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-21

近行定の段階では、諸禅支が未だ相当に弱い為、有分心が非常に

頻繁に生起する。しかし、安止定の段階になると、諸禅支は、

ジャーナを一定時間維持できるほどに、強くなる。

ここで言う有分心とは何か?

《アビダンマ論》に基づいて簡単に説明すると、心は二種類に分ける

事ができるが、それは心路過程心(vīthicita)と離心路過程心

(vīthimuttacitta)である。

心路過程とは、生命の中で、心の流れが活発な一面を持つものである;

離心路過程心は、結生、有分及び死亡の時に出現する不活発な心である。

心路過程が生起していない時、有分心が生起するが、それは前の世の

臨死の時に出現した目標を縁とする。心路過程が再度生起する時、

有分心は停止する。有分心の生起は、心の流れを停止させないためであり、

ゆえに、有分と呼ばれるが、すなわち、生命の相続流または生命の成分

の事である。

それは、過去世において造られた業力が引き寄せ、生じさせた果報心

である。それは、現在の目標を縁に取ることができず、ただ過去の

目標を縁とし、ゆえにそれは、不活発な心、または離心路過程心、である。

このようであるから、それは安般似相などを目標とすることができない

近行定の段階では、諸禅支が未だ相当に弱く、長時間定力を維持できない為、

有分心はこの段階においても、非常に頻繁に生起する。もしそれが、

何分間か継続して生起すると、修行者は自分がなんらの目標も認識

しない、と思ってしまう。

なぜか?

有分心は、現在の目標、例えば、安般似相等々を縁に取ることが

できないからである。それはただ、前世の臨終の時に出現した

過去の目標しか縁とすることができないのである。

縁起の修習をすると、多くの修行者はこの事が理解できるよう

になる。故に、有分心を暫定的に生起させないためには、

あなたは強くて力のある正念でもって、安般似相を専注しなければ

ならない。もし、有分心を調伏することができ、かつ、安般

似相を深く専注する事ができたならば、あなたは、久しから

ずして、ジャーナを証する事ができる。

これが初禅で、その中には五禅支がある。それらは非常に強く、

あなたをして、長い時間ジャーナを維持させる事ができる。

(つづく)

(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)

中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)