五禅支~
五禅支とは:
1)尋(vitakka):心を安般似相に向かわせ、そこにおいて安定させる。
2)伺(vicāra):心をして引き続き、安般似相に注意を向けさせる。
3)喜(pīti):似相を好ましく思う事。
4)楽(sukha):似相を体験しているときの楽受または楽しさ。
5)一境性(ekaggatā):似相に対して一心に専注する事。
初禅の中には五禅支がある;第二禅には喜、楽及び一境性の三つの禅支
がある;第三禅には、楽と一境性の二つの禅支がある;第四禅には、
捨と一境性の二つの禅支がある。
もし、あなたが遍禅、例えば、地遍を修習するようになったなら、
あなたは八定を証する事ができるが、それはすなわち、
八種類のジャーナである。
《大空経》では、仏陀はこれらのジャーナを観禅の基礎とする
ようにと、教えている。
ジャーナの修習を開示した後、仏陀は、続いて観禅について説明
している。当該の経の中で仏陀は以下のように言っている:
「於此、阿難、遠離欲楽及遠離不善法的比丘進入与安住於初禅・・・
第二禅・・・第三禅・・・安住於擁有不苦不楽(受)及由於捨
而念清浄的第四禅。這是比丘如何向内穏固其心、令之寧静、
専一及専注。然後、他向内観照空。当他向内観照空時、其心
不能向内入住空、不能獲得信心、穏定与勝解。如是、
他如此覚知:『当我向内観照空時、我的心不能向内入住於空、
不能獲得信心、穏定与勝解。』
如此他対該(過程)擁有完全的明覚。他向外観照空・・・
他向内外観照空・・・他観照不動・・・当他観照不動時、
其心不能入住於不動、不能獲得信心、穏定与勝解。
於是、他如此覚知:『当我観照不動時、我的心不能入住於不動、
不能獲得信心、穏定与勝解。』如此他対該(過程)擁有完全的明覚。」
(つづく)
訳者コメント:上記の漢文の中に出てくる「信心」は、信仰の意味で
はなく、確信、自信、という意味です。中国語の「信心」には、
信仰の意味はないので、ご注意下さい。
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)