基礎禅~
「当時、該比丘応如之前一般再向内穏固其心、令之寧静、専一及専注
於該相同的定之相。」
「如之前一般再向内穏固其心、令之寧静、専一及専注於該相同的
定之相。」とは、観禅の基礎となるジャーナの事を指している。
これは、自分自身の、未だ十分には慣れ親しんでいない基礎禅から
出定した後、彼(修行者)は、心を内に向けて空を観照するが、
しかし、その心は空に入り留まることができない、という事を
言っている。
その時、彼は心で思う:「他人の五蘊の相続流を観察したら、
どうだろうか?」それで、彼は心を外に向けて空を観照するが、
その心はまたもや、空に入り留まる事ができない。その時、彼は心
で思う:「一時、自分自身の五蘊の相続流を観じて、次に他人の五蘊
の相続流を観ずると、どうなるだろうか?」こうして、彼は心を外に
向けたり内に向けたりして、空を観照しようとするが、その心は、
やはり、空に入り留まる事ができない。
双方解脱者になりたい(+彼は)、又心でこう思う:
「不動を観ずれば、どうなるだろうか?」故に彼は心を不動に向けて
観照したが、その心は、なおも空に入り留まることができなかった。
このような状況の下では、彼は自分の努力を放棄するわけにはいかな
い(+のである)。彼は禅修を放棄して、群体や社群を楽しんでは
ならないし、在家信者と一緒に、社群を楽しんではならない(+のである)。
彼は、同一の基礎禅を不断に繰り返し修習し、徹底的にその基礎禅を
修習しなければならない。
それは、仏陀が「如之前一般再向内穏固其心、令之寧静、専一及専注
於該相同的定之相。」等々と言った通り、それは、例えば、樵の持って
いる斧が鋭くなく、効力がない時、斧を研磨して鋭くすれば、
木を切り倒せるが如く、不断に同一の基礎禅を繰り返し修習すれば、
心がその業処に対して、有効になるのと同じである。
これらの教えに基づけば、もし、あなたの基礎禅が安般第四禅で
あるならば、あなたは、不断に、何度も、当該のジャーナに
入らなければならない(+のである)。
何故か?
定のある比丘は、諸法を如実に知見できるからである。
故に、あなたは、修行の始まりの時に育成した基礎禅を主に修習し、
不断にそれを修習するべきだ。その後でなら、あなたは、観禅の
修習に転換してもかまわない。
引き続き《大空経》を解説するので、よく聞くように。
(+ )訳者。(つづく)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)