子供の頃、神戸に住んでいました。
実家では朝日新聞を取っていたのですが、毎週木曜日の夕刊の地方版
に「宗教の時間」か何か、そういう風な見だしで、山田無文老師が
よく禅宗の立場から説いた仏法を、解説していました。
私は子供心に感動し、木曜日の夕刊を貪り読んだものです。
今ならインターネットで調べれば、無文老師が、我が家から真西に
向かって2km先の禅寺(祥福寺専門道場)にいることを突き止める
事ができたのですが、当時は、そういう事は夢のまた夢でした
(無文老師は神戸在住であったので、朝日新聞の神戸版にシリーズ
で法話を載せていたのだなと、今頃、合点がいきました。
無文老師がお隣さんと知っていたら、厚かましくも質問・面談に
行ったかも~笑)。
今もう一度、無文老師の著書を読んでいて、御著「自己を見つめる」
の中に一休禅師の「拝借申す四大五蘊、お返し申す今月今夜」
という句を引き合いに出している部分を見つけたのですが・・・、
長年パオ・セヤドーの著書を翻訳していると、四大と五蘊の話
はいくらでも出てきます・・・門前の小僧習わぬ経を・・・で、
「はい、一休さん、それそれ、ワカリマスヨ!」(笑)。
<拝借申す四大五蘊、お返し申す今月今夜>
四大(身体)は借りていると言えば言えそうだけれど、
では五蘊って、貸し借りできるもの?
そして、誰が誰から拝借し、誰が誰にお返し申すのか?
仏教って、無我を説くのではなかったっけ?
これが一休さんから我々に差し出されたなぞなぞ、
クイズです。
さて、チチンプイプイ!
ご名答は如何に?