比丘は、下記のような方法を運用して、愚痴(=愚かさと無知)
を断つこともできる。
比丘が仏法を学ぶ時、このような思惟を通して、自己を高める:
「導師は、学習するべき時間に学習に来ない人、(+お経を)
しっかり称えない人、全く称えない人を、処罰する。」
道徳的に高徳である、比丘を訪ねて行って彼らに質問する:
「尊者、この法の道理は何ですか?この法の意味は何ですか?」
このようにすれば、疑惑を取り除く事ができる。
多くの人が仏法を聞きに来ている所へ行き、細心の注意を払って
仏法を聞くようにすれば、徐々に、多くの経文の含意を理解する
事ができる。
彼は徐々に、何が因で、何が因でないかを、識別する事ができる
ようになる。彼は「これはこういう現象の因で、あれはこういう
現象の因ではない」と識別できるようになる。
例えば:彼は眼根、色塵、光と作意は、眼識が生起する原因であり、
耳識が生起する原因ではない(+などという事が分かるようになる)。
次に、38種類の中の、何か一つの任意の法門を修行する人は、
当然、悪念を取り除くことができる。
貪、瞋、痴の相克者、天敵ーー五種類の法または五種類の実践方法ーー
によって貪、瞋、痴を断つとき、貪、瞋、痴は徹底的に取り除く事
ができる。
それはまるで、たいまつ、土、木の枝を利用して火を叩くようで、
当然、火を消すことができる。しかし、もしも、火の相克者ーー水ーー
を使って火を消すなら、火をば、徹底的に消す事ができる。
同様の道理で、この経の初めに触れた五種類の法によって貪、瞋、痴を
取り除こうとする時、それは徹底的に断ずる事ができる。
経文の中で言われている
「就像善巧的木匠或木匠的徒弟、能用細的木釘将細的木釘打掉、移除、取出。」
について、細い釘とは、木材の芯で造った釘で、それは大工が板の中から
取り出したいと思っている、木の釘より更に細い。太い釘とは、心木板や
檀香木の板の中に嵌っている、一本の不調和な釘の事である。
比丘は、増上心を成長させることに尽力しなければならない。
彼の心は、あの心木板のようである:邪悪な念は、その中の不調和な
太い釘のようである:そして、不浄観などの修行の対象に対する如理作意は、
あの細い木釘のようである;不浄観などの、その他の対象を思惟する事に
よって、悪念を取り除く事ができることは、細い木釘を利用して、
太い木釘を取り除くのと同じである。
上記は、註疏の解釈である。(+ )(= )訳者。(つづく)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)