Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-67

上述(No.66)の経文について、註疏では以下のような解釈がある:

禅の修行者は、以下のように悪念の源、及び源の源について、思惟

しなければならない。「この悪念の原因は何か?その助縁は何か?

どのような理由で、それは生起したのか?」

彼は引き続き調査する。「何を理由または原因として、私はこのよう

に速く歩いているのだろうか?」「このように速く歩いて、私にどの

ような利益があるのだろうか?私はゆっくり歩こうではないか」などなど。

「一個快速行走的人」とは、比丘が邪念の思いに嵌りこんでいる事を

比喩している。「慢々地走」とは邪悪な思いを切断した事を比喩している。

「停下来站著」とは、邪悪な思いを切断した後、比丘の心が禅の修行の

法門に安住する事を比喩している。「坐下来」は、観禅の修行を通して、

阿羅漢果を証悟する事を比喩している。「躺下来」は、彼が果定に入って

一日を過ごした事を比喩している。果定は、涅槃を対象にして生起する

ものである。

禅の修行者が邪念の源、及び源の源を探す時、彼は以下のように

調査する:「邪悪な思いは、どのような原因を具備し、何が助縁になって

生起しているのか?」

この時、彼の心中の悪念は、弱くなる。邪念が最も弱くなるまで減少

すると、悪念は完全に瓦解する。(つづく)

訳者コメント:私はよく、悩み深い人、自分自身が嫌いだと言う人に、

座禅するといいですよ、とアドバイスしますが、「いや~時間が無い」

とか「足が痛い」とか言われてしまいます。座禅・瞑想して定力がつくと、

上記のような、自己の苦悩の源(のその又源)に気が付くようになりますが、

現代の日本は、<宗教に嵌りたくない>と思っているのか、実践する人

は少ないです。座布団一枚あればできる、自分一人でできる、どこへ

出かけなくても<今ここ>でできる。こんな素晴らしい心の治癒方法は、

他にはないのですけれど(あ、根気、いります~苦笑)。

(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)

中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)