精進の後に、忍辱を挙げている:
一、精進は忍辱を円満成就するから;
というのも、「精進者は精進を励起する事を通して、諸々の有情と
諸行が彼にもたらす痛苦を克服する」と言うから。
二、精進者に気概を示すため;
というのも、忍耐力のある人は苛立つ事はなく、自己の仕事に
没頭することができるから。
三、他人の利益と幸福(=「福利」改訳。以下同様)の為に奮闘する
菩薩は、見返りを渇望する事はないのを示すため。
というのも、諸法を如実に知見するとき、渇愛はないから。
四、菩薩は、他人が彼の身体に与えた諸々の痛苦を怒りなく
耐え忍ぶ事を示すため;
それは、他人の利益と幸福の為に全力を挙げて奮闘した場合で
あっても(他人は、何らの理由もなく、その身体に諸々の苦痛
を齎す)。
忍辱の後に、真実を挙げている;
一、真実(=真心)を備えている時にだけ、長く忍辱の修習を
しようという決心ができるから;
二、他人が彼の身体に与えた諸々の痛苦を怒りなく耐え忍ぶ事
を示した後、次に、己は他者を助けたいと思っている、
という言い分は、絶対に嘘でない事を示している。
三、菩薩は、忍辱(=耐え忍ぶ)する事によって、他人に
侮辱されても、虐待されても、心は動揺しない事、及び真実の
言葉を通して、彼に敵対するからという理由で、その人間を
捨て去るという事がないのを示すため。
真実の後には、決意または決心を挙げている:
一、決意は真実を円満成就するから;
決心が動揺しない人だけが、円満に妄語を捨棄する
ことができるため。
二、言説に全くの虚偽がないことを示した後、動揺しないで、
言った事を実行するという事を示している。というのも、
真実に献身する菩薩は、自分の、布施等をしたいという
自己の願望を、全くの猶予なしに、実践できるから。
決意の後には、慈を挙げている:
一、慈は、他人の利益と幸福に尽力したいという決意を
円満成就するから;
二、他人の利益と幸福に尽力したいという決意を挙げてから、
実際に実行すべき事柄を挙げている。というのも、「菩提資量
を蓄積すると決意した者は、常に慈に住する」から。
三、動揺を受け付けないと決心した者だけが、他人の利益と幸福
の為に奮闘することができるから。
慈の後に、捨を挙げている:
一、捨は慈を浄化するから;
二、他人に利益と幸福を提供する時に、他人から苦しみを与えられ
ても、捨心でもって、彼らに対応しなければならない;
三、菩薩は、自分に対して、幸福であるよう祝福を与えてくれる人
にも平等心を保つという、殊勝な品徳を持っていなければならない。
このように、上に述べたような解釈の仕方で、
波羅蜜の順序を理解する。
(+ )(= )訳者。(つづく)
訳者コメント:文中の「福利」は原文ママの直訳です。
「幸せと利益」と訳した方が分かり易いでしょうか?
後者がよければ、後々変更します。
追伸:6月30日に読者の方(id:tombi_dagaya)よりコメントがあり、
直訳の「福利」は、日本語としては、腹落ちしない、という
ご意見でした。
「幸せと利益」も自分の中では納得がいっておらず、
「利益と幸福」に変更する事にしました。
今後とも、ご感想、不足のご指摘など、
よろしくお願いいたします。
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)