南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-90

大悲心と方法善巧智~

至上願と同じく、「大悲心」と「方法善巧智(=方便)」もまた、

波羅蜜の条件になる。

ここでは、方法善巧智とは、布施とその他の9種類の品徳を、

菩提資糧に転換する智慧、であると規定する。

大悲心と方法善巧智を具備した状況の下、あの大いなる偉人は、

他人の幸福のために全身全霊を投入し、全く己自身の楽しみを

顧みることなく、また、極めて困難なる菩薩道にも

怖れることは、なかった。

そして、菩薩の本質とは、他人が彼の事を見るだけでも、

聴くだけでも、思い出すだけでも、利益と幸福を得る事が

出来ることであるが、それは、たとえ彼の影であっても、

伝聞であっても、彼に対する思念であっても、信心を引き

起こす事ができるからである。

菩薩は、智慧を得る事を通して仏陀の性格を円満成就

しているそして、大悲心を通して、仏陀の任務を遂行する。

彼は智慧を得る事を通して苦海を抜け出す;

そして大悲心を通して、衆生を救う。

彼は智慧を通して、苦に対して飽き飽きし、嫌悪する;

そして大悲心を通して苦を楽とみなして、衆生を救うことに

尽力する。

彼は智慧を通して、涅槃を証する事を発願する;

そして、大悲心を通して、生死の中で輪廻する。

彼は大悲心を通して、引き続き生死輪廻する;

そして、智慧を通して、彼はその中に楽しまない。智慧を通して、

彼は一切の執着を断つが、しかし、その智には大悲が含まれて

いるので、他人の利益のために働く事を拒否しない。

悲心を通して、彼は一切の衆生に対して、憐憫の情を持って

いるが、しかし、その悲には智慧が備わっているので、彼の心に

執着が起こる

ことはない。

智慧を通して、彼は「私がなした」とか「私のなしたもの」とか

の執着は無く、大悲心を通して、彼は懈怠することもなく、憂鬱

になることもない。

同様に、智慧と大悲心を通して、彼は自己と他人の保護者、賢者と

なり英雄となり、自己をも他人をも、責め苛むという事がなく、

そして、自己と他人の利益と幸福を促進し、無畏であると同時に、

無畏の施主でもある。

の心全体が、ただただ、法と世間のためにのみ存在している。

彼の心は感恩を知っており、他人に報いようとする。

明(=事柄に対する理解)と行(=行為、実践)が兼備され、

愚痴なく、愛なく、「力」と「自信地」を擁している。

このように、大悲心と智慧は、波羅蜜の一つ一つの成果を獲得

する方法なのである。それらは、ただ単に、波羅蜜の基礎に

なるだけでなく、至上願の根本条件でもある。

もし、あなたが菩薩になりたいのであれば、あなたは、

上に述べた文章に細心の注意を払い、省察する必要がある。

悲心と智慧のバランスは非常に重要である。

というのも、あなたの悲心が強すぎ、かつ智慧が多くない時、

あなたの悲心は、視覚障碍者の悲心となってしまう。

道路の状況を見ることのできない視覚障碍者が、他人を導こうと

する時、他人をば、危険が充満している脇道に、連れていくかも

知れない。

同様に、あなた自身、たいして智慧がないのに、何が何でも

衆生救いたいと考えるなら、あなたは菩薩になる事もできないし、

衆生を救う事もできない。それに、智慧を基礎としない悲心は、

強大になることはない。

ただあなたが、奥深い智慧を擁する時にのみ、例えば、行捨智の

ような智慧を持つときで、かつ、10波羅蜜を実践する決意を堅持

する事が出来た時に初めて、我々は、あなたが、あなたの悲心

にとって、良き基礎を打ち立てた、と言う事がでる。

なぜか?

行捨智(+の獲得)を通して、あなたには、内、外、過去、

現在と未来の五蘊への執着が已に、大いに軽減しているからである。

あなたの心は、已に、生死輪廻を喜ばないか、または執着しなく

なっている。

しかし、あなたはそれでもなお、衆生の利益のために生死輪廻を

選択する。

こうしたことから、菩薩道を修したいと思う人にとって、奥深い

智慧を育成するのは、必須な事柄なのである。

反対に、あなたの智慧が非常に強力であって、しかし、あなたの

悲心が、菩薩道を修し続ける事ができる程の強度がない時、

あなたは自然に、阿羅漢になる道を選択し、仏になる道を

選択しない。

故に、もしあなたが菩薩になりたいのであれば、悲心と

智慧をバランスさせる事は、非常に重要なのである。

(+ )(= )訳者。(つづく)

訳者コメント:私は子供の時から仏教が好きで、大乗経典を乱読

していたのですが、どれを読んでも隔靴掻痒、もうひとつピンと

こない。<お前には、大乗仏教徒としての素質がないのだ>と

言われればその通りなのでしょうが、パオ・セヤドーのこういう

説明を聞くと、たちまち腹落ちする。テーラワーダは単刀直入、

分かり易いと思うのは私だけでしょうか。

(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(1999年版)

中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)