パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-104
娑婆世界における、これほど多くの旅人の中で、菩薩は、最も偉大なる
人物である。授記を受けた後、菩薩は、少なくとも四阿僧祇劫と十万大劫
の長きに亘って、諸々の波羅蜜を円満成就して、一切知智を証悟しな
ければならない。
故に、長い娑婆での、旅の途中にいる偉大な旅人、すなわち、菩薩に
とっては、布施波羅蜜は、非常に重要である。パーリ語経典の中の
《仏種姓経》という経の中では、布施波羅蜜の修行が、その主要な
地位を占めている。
こういうことから、上記《相応部》の経文の対象は、阿羅漢果を
証悟することのできる、成熟した因縁を持つ人を対象にしている
(+ことが分かる)。
波羅蜜が未だ円満でない人々は、布施波羅蜜は重要な要素ではない、
などと言ってはいけない。
こういう問いもある:
布施波羅蜜を修習するだけで、涅槃を証悟することは可能か?
回答は以下の通り:
もし、ただ一つの波羅蜜、布施であろうが、戒であろうが、または禅定で
あろうが、それだけを修習するのでは、涅槃を証することはできない。
布施だけを修習するということは、持戒と禅定がないことを示している。
同様に、禅定だけ修習するのは、持戒がないし、布施の下支えもない、
という事を表している。
持戒を通して、自己を制御しない人は、悪を作し易い。もし、こういう
悪癖のある人が、禅の修行をするならば、時間の無駄、ということが
分かる。それは、ちょうど、一粒の良質の種を、火で焼いて赤くなった
鉄なべの中に放り込むようで、それは発芽しないだけでなく、燃えて、
灰になるだけだ。
こうした事から、「布施だけを修習する」のは、正しいことではない
(+ことが分かる)。
(+ )訳者。(つづく)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)