南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-104

娑婆世界における、これほど多くの旅人の中で、菩薩は、最も偉大なる

人物である。授記を受けた後、菩薩は、少なくとも四阿僧祇劫と十万大劫

の長きに亘って、諸々の波羅蜜を円満成就して、一切知智を証悟しな

ければならない。

故に、長い娑婆での、旅の途中にいる偉大な旅人、すなわち、菩薩に

とっては、布施波羅蜜は、非常に重要である。パーリ語経典の中の

《仏種姓経》という経の中では、布施波羅蜜の修行が、その主要な

地位を占めている。

こういうことから、上記《相応部》の経文の対象は、阿羅漢果を

証悟することのできる、成熟した因縁を持つ人を対象にしている

(+ことが分かる)。

波羅蜜が未だ円満でない人々は、布施波羅蜜は重要な要素ではない、

などと言ってはいけない。

こういう問いもある:

布施波羅蜜を修習するだけで、涅槃を証悟することは可能か?

回答は以下の通り:

もし、ただ一つの波羅蜜、布施であろうが、戒であろうが、または禅定で

あろうが、それだけを修習するのでは、涅槃を証することはできない。

布施だけを修習するということは、持戒と禅定がないことを示している。

同様に、禅定だけ修習するのは、持戒がないし、布施の下支えもない、

という事を表している。

持戒を通して、自己を制御しない人は、悪を作し易い。もし、こういう

悪癖のある人が、禅の修行をするならば、時間の無駄、ということが

分かる。それは、ちょうど、一粒の良質の種を、火で焼いて赤くなった

鉄なべの中に放り込むようで、それは発芽しないだけでなく、燃えて、

灰になるだけだ。

こうした事から、「布施だけを修習する」のは、正しいことではない

(+ことが分かる)。

(+ )訳者。(つづく)

(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)

中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)