私は、ミャンマーの事を<緬甸>と書きます。
昔の人は<緬甸>を<ビルマ>と読みましたが、今は
<ミャンマー>と読むか、または、緬甸なんて漢字は
もう最初から使わないで、<ミャンマー>と、
カタカナで書くようです。
それを知っていながら、なぜ、私は<緬甸>という漢字を
使い続けるのでしょうか?
それは、もう60年近く前の事、私が小学校3年生だった時の
物語・・・、学校で「地理の時間」がありました。
私は日本生まれの台湾人三世で、自分から希望して、華僑の
子弟が学ぶ国際学校~中華学校に入学しました。
この学校は、授業は全部北京語でやります(小学5年になると、
日本語の授業が始まりますが、国語というのは北京語の
事で、理科も数学も、北京語で学びます)。
当時小学3年生だった私は、先生が地理の授業で、黒板に東南アジア
の地図を書き、そこへ「緬甸」と書いたのを見たのです(この
ネィティブの中国人教師、天津から来た方で、女性でしたが、
日本語で噛み砕いて教える気は端からないので、小三の生徒に、
いきなり、この漢字です~笑)。
ところが、先生が黒板に<緬甸>と書いた瞬間、黒板がピカッと
光りました。
そして、私は幼い頭でこう思ったのです「私は大きくなったら緬甸に
行く。今は、何か分からないけれど、大人になったら、緬甸に何かの
用事が出来るはず」。
そして、私は55歳の時に、パオ・セヤドーの著書に出会い、お許し
を得て、パオ・セヤドーが住職をされているミャンマーはモーラ
ミャインのパオ森林寺院で、2年間、修行させて頂きました(その時
セヤドーから頂いた出家名が、出直し出家の今にも使っている、
Pañña-adhika sayalayです)。
子供の時に見た光は、これ!!
緬甸は、私にとって、約束の地なのだ、と今は分かります。
輪廻は、ある。
その証拠の一つが、私の中の、この光の体験なのです。
(確実に輪廻を知りたければ、禅定に入る必要がありますが)。
だから私は、小三の私の担任だった女性教師、You老師への
感謝と謝恩の為に、<緬甸>という漢字を使い続けている、
という訳です。閑話休題。