Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-110

ある時、仏陀と大勢の比丘が、コーサラ国を遊行していて、ある所で、

一塊の烈火を見た。

仏陀は即刻、その道を離れ、一本の木の下に行き、阿難尊者が袈裟を

敷いて準備した、彼のための坐に座った。

その後、仏陀は大勢の比丘に訊ねた:

「比丘たちよ。どちらが比較的好ましいか?烈火を抱いて座る方が

よいか、それとも身体が柔らかく、触覚が美妙な少女を抱いて座る方

がよいか?」

比丘たちは、無知のままに、少女を抱く方がよい、と回答した。

仏陀は即刻、解説して言った。

「戒を持さない人にとって、烈火を抱いているほうが、まだよい。

というのも、それは、彼を一生の内に苦しめるだけだから。

少女を抱くならば、それは悪道に生まれ変わる事になる。

なぜか?

それは《相応部・燃火之教経》(Ādittapaaariyāya Sutta of 

Saṁyutta Nikāya)で述べられている通り、身体が柔らかく、

触覚が美妙な少女を座って抱く、という楽しみに執着する事は、

不善法であるからである。

この不善法は、非常に強いエネルギーを持ち、極度に痛苦なる悪道

に生まれ変わらせる果報を齎す事になるし、それは、非常に長い時間、

この痛苦に遭わねばならないことになる。

その後、仏陀は、再び比丘たちに問うた。

一、一人の強健な人に虐められ、両足を鞭で打たれ、皮膚、骨までが

破れ、砕けるのがよいか、それとも、楽しく信徒の礼拝を受けるのと、

どちらがよいか?

二、一人の強健な人に、先端のとがった矛で、胸を突き刺さられるのが

よいか、それとも、楽しく信徒の礼拝を受けるのと、どちらがよいか?

三、一人の強健な人に、真っ赤に焼けた鉄片を全身に張りつけられるの

がよいか、それとも、信徒に布施された、袈裟を着る方がよいか?

四、火で真っ赤に焼いた器具で口を押し広げられ、(+口に)火で

真っ赤に焼けた鉄の玉を投げ入れられ、口から肛門までの内臓を

焼き尽くすのがよいか、それとも、信徒に布施された食物を食べる方

がよいか?

五、一人の強健な人に、頭と肩を強く掴まれ、焼いて真っ赤に

なったベッドに無理やり座らされるか、横にならされる方がよいか、

それとも、信徒に布施されたベッドで寝る方がよいか?

六、足と手を、一人の壮健な人に掴まれて、大鍋が火で焚かれて、

その中で煮えくりかえっている、鉄の中に放り込まれるのがよいか、

それとも、信徒の布施してくれた寺院にいる方がよいか?

(+ )訳者。(つづく)

(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)

中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)