Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-113

もしも、過去に蓄積した力のせいで、持戒とは反対の、<反感>

などの法が、時として生じる場合、菩薩道を修すると発願

した者は、以下のように省察しなければならない:

己は、阿羅漢道智と、正等正覚を、証悟する必要があるのでは

なかったか?もし、己の戒行に欠陥があるならば、世俗の事柄で

さえも成就する事ができないし、ましてや、出世間の事柄などは、

とてもとても・・・。自分が証悟したいと思っている正等正覚は、

最高の功績である。持戒は正等正覚の基礎となるものであるから、

己の戒行は、非常に高い素質を具備しなければならない。

故に、自分は、戒律を熱愛する人間でなければならない。

自分は常に、自分の戒を善く守り、卵を守るメンドリより、

なお慎重でなければならない。

また、衆生を(+苦しみから)解放し、救うために、自分は彼らに

仏法を教えなければならない。また、五根が未熟な人たちに、

五根が成熟するよう支援し、彼らが、三乗に入れる様に

しなければならない。

医術を間違えた医師は、信頼できないように、人々は、道徳のない者

の言論を信頼することはない。」

また以下のように省察する:「もし、信頼されるに値する人間に

なりたいのであれば、自分には、清浄なる戒行が必要だ。

このようにして初めて、衆生を(+苦しみから)解放し救い、

彼らの五根が成熟して、三乗の(+流れに)乗れるよう、

彼らを支援する事ができる。

また、己が、ジャーナ等の特別な資質を持ってのち初めて、

他人を支援することができるし、智慧などの波羅蜜を円満する事が

できるのである。

もし、清浄なる戒行が無いならば、ジャーナ等の特別な素質を

獲得することはできない。そういう事から、己は、清浄なる

戒行を具備する必要があるのである。」と。

(+ )訳者。(つづく)

(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)

中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)