その内の、超越的に非凡な精進波羅蜜の例は、註疏に
触れられている所の《大生本生経》でる。
当時、乗っていた船が、海に沈もうとしている時、大生王子
として生まれた菩薩は、大海原の中を、七日七夜泳ぎ続けた。
彼の精進力は、行善、または布施、または持戒、または禅の修行
の為に惹起されたものではない。
それは、貪・瞋・痴とも無関係で、故に、それは誰にも責められる
ことのない、(+純粋な)精進波羅蜜であった。
大生王子の(+純粋で)全く責められることのない、非悪な、
超凡的な精進力は、精進波羅蜜であると、見做されている。
彼の乗っている船が、もうすぐ沈もうとしている時、
船にいた700人の人々は、皆、心を痛めて泣いていて、この困難
から脱出しようと試みる事はなかった。
しかし、大勢とは異なる大生王子は心の中で思った:
「危機に遭った時、心を痛めて泣いても、それは非智者の行為である。
智者は、自らを救うべく奮闘する。私のような智慧ある人は、
安全な地まで泳ぐ事に、奮闘努力する」と。
この決心をもって、彼は決して恐れずあわてず、勇気をもって、
岸に上がれるよう努力した。
その心が聖潔であったため、彼の行動は称えられるべきものであったし、
彼の精進力もまた、非常に誉め称えられるべきものであった。
菩薩は、一つ一つの世毎に、勇敢であり、かつ、何ら怖気づく事なく、
為すべきことをなした。人として生まれた時は勿論のこと、
牛として生まれた時でさえも、彼はこのようになした。
当時、我々の菩薩は、「黒」という名の牛で、彼を飼っている
女主人に感謝を示すために、貨物を積んだ500台の貨車を引っ張って、
大きな沼地を越えたのである。
たとえ動物に生まれても、菩薩は決して精進波羅蜜を育成すること
に手を抜かない。故に、彼が人間として生まれた時、
精進の(+心の)傾向は、依然として存在した。
このような、精進を育成したいと思う心の傾向は、何度生まれ
変わっても、菩薩の心の中に存在する。
「念処分別」と《大念処経》の注釈いおいて、11種類の、精進を
育成する要素が、挙げられている:
一、悪趣の危険を省察する。
二、精進を育成する益を理解する。
三、諸々の聖者が実践した道を省察する。
四、信徒が供養した食べ物に敬意を払う。
五、(正法の)遺産である聖潔性を省察する。
七、伝承の聖潔性を省察する。
八、梵行を共に修行する仲間の聖潔性を省察する。
九、怠惰な人から遠く離れる。
十、精進ある人に近づく。
十一、四種類の姿勢のすべてにおいて、精進を育成する。
(+ )(= )訳者。(つづく)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)