パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-133
九、慈波羅蜜
慈波羅蜜は、大悲心と方法善巧智を基礎にして、衆生の
利益と幸福、安楽のために行う貢献、または無瞋心所である。
その特徴は、衆生が豊かに、安楽にあれと願う事である。
作用は、衆生の利益と幸福のため、または瞋恚と
怨恨を解消する為に努力する事。
現起(=現象・結果)は友愛。
近因は衆生の、受容可能な面を見る事。
下記のように、慈波羅蜜を省察する:
「自分の利益に敏感な人であったとしても、他人の事を
全く顧みないで、今世の成就を得たり、また、来世に
おいて善趣に生まれ変わる事はできない。
ましてや、一切の衆生を指導して涅槃を証悟したいと
願っている人が、慈愛のない状況下で、どうして
目的を達成する事が出来ようか?
もし、あなたが最終的に、衆生を指導して、出世間の涅槃を
証悟させたいと願うならば、あなたは今すぐに、彼らが世間
的な成就を獲得するよう祝福しなければならない。」
「私は、ただ祝福するだけで、他人に幸福と安楽を齎す事は
できない。私にそれが完成されますように。」
「私は今、彼らの幸福と安楽を促進するために、彼らを
支援する。未来に於いて、彼らは必ずや、私と共に、
法を享受する仲間になるだろう。」
「これらの衆生がいなければ、私は菩提資量を得ること
ができない。彼らは、一切の美徳を成就し、円満にする因
であるから、これらの衆生は私にとっては、殊勝なる福田
であり、善業をなす時の理想的な処であり、敬愛すべき
対象である。」
このように、彼は、極めて強く、一切の衆生の利益と
幸福を促す(+心の)傾向を惹起しなければならない。
どのようにして、一切の衆生への慈愛を育成するのか?
それは悲の基礎となるものである。
彼が、無量の心でもって、その他の衆生の幸福と安楽の
ために、己を献身する事ができたならば、彼の、衆生の
苦しみを抜き去ってあげたいという思いは、
ますます強く深くなる。
そして、悲は、仏果に向かう一切の法の一番目にあり、
それは、そられの立脚点であり、基礎であり、根であり、
頭であり、主人でもある。
慈愛を修習する人は、偽善を慈愛として偽装する欲愛
に対して、細心の注意を払わなければならない。
註釈の中で、警告して下記のように、言っている:
「慈愛を偽装する欲愛は、非常に人をだます。」
《清浄道論》の「説梵住品」でも、「瞋恚と怨恨を取り除けば、
慈愛は成就する。しかし、欲愛の生起は、慈愛が已に破壊された
事を示している。」
その意味とは:もし人が、自分に対して怒っている人に慈愛を
送り、結果、怒りが消失したならば、取り替えたものは慈愛である。
故に、瞋恚と怨恨の消失は、慈愛の生起である。
もし、彼が慈愛を育成する時に、欲愛を生起させたならば、
彼の慈愛は、已に消失している事になる。
彼は、見た目が慈愛に似ている欲愛に、騙されたのである。
(+ )(= )訳者。(つづく)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)