Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~文化と言葉はグラデーション

先日、我が家のPCを修理に来た電器屋さんと、宗教の話をしました。

彼は「ヒンズー教の<ヒンズー>とは、インドに存在するものすべて、という意味。仏教は、ネパールとインドの国境にある小国で生まれたシッダールタが開祖で、宣教して歩いたのはインド国内だから、インド人からしたら、それは<ヒンズー(教)>なのです、教義が真反対でもね」と言っていました。

私も九州大学の印哲科で聴講したとき、先生がそう解説するのを聞いたことがあります。インド(ヒンド、ヒンズーともいう)とは、カレー粉で味付けする料理を食べる土地全部を指す言葉であって、思想・宗教は関係がない、のだそうです。

私たち仏教徒は、何かというと無我だ、真我はけしからん、と口に泡を飛ばして論議しているけど、それほどには、先方は気にしていない(笑)。

私は若いときに、子供を連れて北京から上海まで鉄道旅行をしたことがありますが、その時「ああ、北京語とか上海語とか広東語とか、そんなものないのだなぁ」と思ったものです。

北京の中心地では、なるほどTVのアナウンサーがしゃべるのと同じトーンの北京語が聞こえてきますが、汽車に乗って20分もして、保定あたりに来ると、正調北京語と、北京周辺語(保定訛り)ともいうべき訛りが混ざってきて様相が一変、正調北京語なら喧嘩もできる私でも、彼ら(保定の人々)が何を言っているのか、全くわからない。

そして徐州に近づけば、保定訛りに徐州訛りが混じり、上海に近づけば徐州語に上海訛りが混じり始め、上海の中心部にだけ、正調上海語はある、というわけ。

要するに、<これは正調北京語である!>というのは、北京の中心地にしかなく、<これは正調上海語である!>というのは、上海の中心地にしかない、わけで。

文化や言語は波動のように、波の一種、グラデーションになっている。ものの20分もすると通じなくなる正調北京語、正調上海語に固執する愚かさは、中国の大地を旅してみれば、すぐにわかる。

人生も、人の価値観も、そんなもんではなかろうか?と、年老いて老獪になった私は、思うのであります。