彼は省察する:「過去の諸々の菩薩は、私と同じ人間にすぎなかった。しかし、長期的に戒・定・慧の修習を不断に行ったために、正等正覚に到達した。過去の菩薩と同じく、私も完璧な戒・定・慧の三学を実践している。かくのごとく、同等の三学を完成したならば、私も同様の目標を証得することができる。それはすなわち、正等正覚である。」
このように、信心(=確信)を先駆とし、意気軒高とした精進に支えられて、彼は戒学などを実践し、成就する。
同様に、菩薩は自己の善行を喧伝することはなく、反対に、自己の過失については、率直に認めるものである。
彼は小欲で知足である。隠居生活を楽しみ、社会の中で、雑多な生活をすることがない。
彼は各種の苦難に耐え、いかなる物事にも貪欲を覚えたり、またはいらだったりしない。
彼は夜郎自大的に傲慢になることなく、悪意を持って他人を侮ったりせず、つまらぬ噂話もしない。
彼は安寧で、かつ平静であり、不適切で、虚偽的な生活とは、距離を保っている。
彼は小さな成功に自己満足を覚えることはなく、不断に、さらなる高度な目標のために奮闘する。耳の悪い人には、彼は、手話で会話する。彼は座席や交通手段を障碍者に提供し、またはその必要があるときは、自ら、彼らを背負って目的地に行く。(+ )(= )訳者。(つづく)
★誤字脱字を発見された方は、当コメント欄にてご一報頂くか、または<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。
<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」1999年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>
。