最近、日本で開催される瞑想会などに出席するようになって、「あなたはどういう動機で仏教徒になったのですか?」と聞かれる事が、たまにあります(私は、一番最初はタイで修行し、次がビルマ、その後台湾を経由して、晩年になって、今は日本のパオ系の瞑想会に参加するようになりました)。
私は、たいがいは「イヤ~、動機などなくて・・・、5歳の時に、『お富さん』という歌謡曲の中のフレーズ『お釈迦様でも知らぬ仏の・・・』という部分を聞いて、『あっ、お釈迦さんって偉いんだ!大人になったらこの人の事勉強する!』」と思い、かつ子供心に『これは、遊んでいる場合ではないゾ』と思ったんですよ~~」と返事している。
上記に嘘はないけれど・・・、悲しいことや、つらいことがあって仏教に目覚めた人と比べれば、天然仏教徒といいますか・・・、その上、大乗経典が納得できなくて、子供心に「これではない、何か別の、仏陀の金言」というのを、ずっと探していたのですから、人生は不思議です。
ディパンカラ・サヤレーは、子供の時から数珠を繰り(定の修習でしょうか?)、お経を読んでいて、パオに行ったら、3週間くらいで全課程が終わってしまって、すぐに瞑想の先生になったのですから、こちらが本物の天然仏教徒でしょうけれど。
(サヤレーのお話では、お経を読まないで寝ようとすると、空中から「お経を読んでくれ~~」と声がして、ゴトガタ、家鳴りがしたそうです。デーヴァダー、天神が催促したのでしょうか?)。閑話休題。。