Sayalay's Dhamma book

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パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-154

如何にして出離波羅蜜を修習するのか?

前述したように、出離波羅蜜とは、大悲心と方法善巧智を基礎として、欲界と生命界を離脱したいと願う心と心所の事である。

その前提は、欲楽と生命界への不円満によって、嫌悪と恐怖智を感じることである。

ゆえに、菩薩は先に、過患智によって、欲楽と生命界の不円満を如実に照見する。

彼は、それらの不円満をこのように観照する:「在家の生活は多くの煩悩の住居である;妻と子供などがいることによる束縛は、己が善を修習する障碍である;たとえば、商売とか耕作とかを行えば、種々の活動に引き込まれたり、束縛されるので、それは出離の楽を得られるところではない。」

人々の欲楽は、鋭い剣の上にのっている一滴の蜂蜜のようであり、享受より危険の方が大きいのである。

これらの享受は、短い期間のものであり、まるで映画の中の映像のようである。

ただ精神病患者の乱れた服装のように(混乱した)知覚だけが、それらを享受する。

それは、糞の上にかぶせておいた装飾品のように誤導性を有している。

それは、指の上についた一滴の水の如くに、(+喉の乾いた者が)満足することができない。

それらは、過度の飢餓に陥った人が食する食べ物のように、多くの不幸と危険性を備えている。

それは、まるで、針にかかった餌のように、過去、現在、未来においての苦を齎す。

それは、焚火の火のように熱い。

樹木のヤニのように粘着する。

それは、敵のマントのように、凶器を隠す。

先に欲楽と生命界の欠点を省察し、次にそれらから離脱すること(すなわち、出離である)の長所を省察し、菩薩は、出離波羅蜜の修習に尽力する。

出家は出離波羅蜜の基礎であるから、仏法のない時代においては、この波羅蜜を修習するために、菩薩は業力を信じる事と、(+善い)業をなす事(+を善きことと)信じる修行者の下で出家して、隠士となった。しかし、仏陀が出現してからは、彼は比丘サンガに加入するようになった。

出家後、彼は止戒と行戒を育成する;これらの戒行を浄化するため、彼はその上に、頭陀行を修習する。

菩薩は、頭陀行によって加持された浄戒水でもって内心の煩悩を洗い流し、誰も指弾できない清浄なる身口意を備える。

彼は得ることのできるどのような袈裟、食物と住居であっても、知足する。

聖者の四つの伝統(ariyavaṁsattaya)の内の、前の三個に追随した後、彼は四つ目を獲得するよう尽力する。それはすなわち、禅の修習(bhāvanārāma)を楽しむことであり、40種類の業処の中から適切なものを一個選び、近行定(upacāra)と安止定(appanā)を証悟するまで修習する。

ジャーナを証悟した後、菩薩は出離波羅蜜を成就したのだ、といえる。

(以上が出離波羅蜜の修習の方法である)。

(+ )(= )訳者。(つづく)

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<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」1999年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>