是誰庵のひとやすみ~寅さん
私が上京してきて、都内の映画館で初めて
「男はつらいよ」を観たのは、二十歳
を過ぎたころだったと思う。
その時感じた違和感・・・その原因が、
ずっと、ずっと、わからなかった。
なんと、それが、今朝、氷解した
(おそ~~い!おそすぎ!)。
それは、映画の初めに流れる寅さんの
主題歌~♪ 奮闘努力のかいもなく ♪
~だ。
私はこれを聞いた後、映画の中の、
寅さんのどんなとぼけた振る舞いも、
皆と一緒に楽しむことができなかった、
なぜか心の芯が寒いのだ(渥美清や
演技力が素晴らしくて、それに笑ったり、
泣いたりしたのは、別の話)。
「何かが違う」「どうして、映画館にいる
この人たちは、あんなに無邪気に笑うことが
できるのだろうか?」
そして、昨日、パオセヤドーの「菩提資糧」
を訳していて、出てきた言葉。
<人生~すなわち、欲界と生命界は
不円満である>
命は地球より重いなどという格好いい
キャッチフレーズに騙されていたけれど、
生命というのは不浄なものらしい
(これは、チョーチョータイさんに教わった)。
生命が不浄で嫌悪すべきものであると
いうのは、まだ観禅ができていないせいで、
実感としてはないのだけれど、身体は病気の
巣窟だということは、年取れば誰でも、わかる。
そして、もっとも肝心なのは、人生は
<奮闘努力のかいもなく>
崩れ去るものなのだ、という事。
私は50の時に癌を手術した。手術自体は
成功したので問題はなかったが、ちょっと
した行き違いで看護師から「(医師の言う
ことを聞いて、抗がん剤治療しなければ、
あなた)明日死にますから」と言われて、
パニックになった。
その時の心の混乱、脳機能の惑乱を自己観察
していて、死ぬ時、我々は何も持っては
いけない、イヤ、業だけが付いてくる。
一生のうちに築いた人間関係や職能、
覚えこんだ何らかの知識、磨きに磨いた技能、
能力など、世俗に有用なことどもは、
あっけなく崩れさるものだ、というのを
実感したのである(それできれいさっぱり、
フリーランス通訳をやめた)。
そうか、そうだったのか。
♪ 奮闘努力のかいもなく ♪ って、
それ、寅さんを嗤うためにある歌
じゃぁ、ない。
地球に生きる人間全員の運命だ。
そうわかった時(今朝)、寅さんを観る度に
感じていた、あの不思議な違和感の謎が
とけた。
長生きはしてみるものだ。不浄で不円満では
あっても。。
(できれば今生で、観禅~ヴィパサナを
進展させて、生命の不浄を深い所で、
観じてみたい。人生は何度生きても無意味、
というのは、もう分かっているから。)