南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-155

如何にして智慧波羅蜜を修習するのか?

智慧の光が、愚痴(=愚かさと無知)の

黒とは共存できないことから、智慧

波羅蜜を修習する菩薩は、愚痴に落ち込む

原因を避ける。

それはたとえば、善法に反感を覚える

(arati)、懈怠、昏沈(正念のない事)

のまま手を伸ばす等で、反対に、更なる

広範な智慧、各種のジャーナ等を獲得する

ために尽力する。

智慧には三種類ある:

一、聞所成慧(sutamaya paññā):

二、思所成慧(cintāmaya paññā):

三、修所成慧(bhāvanāmaya paññā)。

 

一、聞所成慧

(聞諦とも言われる)聞所成慧を成熟

させるために、菩薩は方法善巧智を基礎

として、正念、精進と智慧を具備して、

細心に、読み、聞き、学び、覚え、問い、

そして分析と研究をすることによって、

聞所成慧を育成する。

聞所成慧の全体的な構成は以下の通り:

(一)五蘊、12処、18界、四聖諦、22根、

12因縁、四念処などによって構成される

37菩提分、及び善悪などによって設定され

各種の順序。

(二)指弾されることのない、衆生にとって

楽と利益と幸福を齎すことのできる

世間的な知識。かくのごとくに、菩薩

は聞所成慧を育成して智者になり、

自己を成就し、また、他人のために智慧を

確立する。

同様に、衆生に奉仕する為、菩薩は

その場で即刻適切に利用できる智慧を

育成するが、れはすなわち、方法善巧智

(=方便)である。

この種の智慧を運用して、菩薩は人々と

交流する時、益になる要素と破壊に導く

要素とを明確に分別する。

二、思所成慧

同様に、菩薩は、五蘊などの究極法を深く

省察することを通して、思所成慧を育成

する。(細心に読み、聞き、学び、五蘊

などのの究極法を覚えることを、

思所成慧という。先に思考し、その後に、

すでに読んだもの、聞いたもの、学んだもの

及びすでに覚えたものに関する、諸々の

究極法を省察するのが、所成慧である。)

三、修所成慧

同様に、五蘊などの究極法の特相(=特徴)

と共相を徹底的に理解して、俗諦の知識を

確立した後、菩薩は前に述べた部分の修

所成慧(禅修を通して自ら体験・証悟した

智慧)を確立する為、禅の修習をする。

それはすなわち、前九つの観智、たとえば、

有為法の無常、苦、無我を観察する思惟智

である。

このように観智を修習し、菩薩は全面的に、

身体の外および身体の内部の物質は、

すべてただ名色の現象にすぎないことを

観る:

「これらの自然現象は、ただ名色にすぎず、

因縁によって生滅しているに過ぎない。

際、造作する者はおらず、また被造作者

いない。名色は生起すれば必ずや消失

するもので、故にそれは無常である。

それは不断に生滅しているがために、

苦である。

それはコントロールしがたいものであるから、

無我である。」

このように、内外の物質の実相を観照し、

彼はそれらへの執着を捨て、また他人が

そうできるように支援もする。

仏になる前、菩薩は大悲心によって、

衆生が三乗行道(paṭipatti。この三乗の行道

を通して、衆生は三種類の菩提を成就する

ことができる)に入るよう手助けし、

または行道に入った人が成熟に到達する

よう支援する。

彼自身に関しては、菩薩は、ジャーナの

五自在と諸々の神通を得られるよう、

尽力する。

ジャーナと神通の定力の助けを借りて、

彼は智慧の最高峰に到達する。

(以上が智慧波羅蜜の修習の方法である)。

(+ )(= )訳者。(つづく)

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訳者コメント:「無我」の定義は重層的で難しい。上記では、パオ・セヤドーは、無我=(諸々の縁起は)コントロールできない事、としている。ブッダダーサ尊者の著書では、無我=自我のないこと、としている。インド人がアナッターというとき、最初に思い浮かべるのはどの意味なのでしょうか?一度、インド人に聞いてみたい。

<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」1999年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>