パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-158
彼ははっきりと、色界と無色界の梵天が、
最長8万4000大劫の天寿を享受した後、
やはり無常の自然原則から逃れることが
できなくて、無数の生老病死の輪廻の
苦海に落ちるのを、見ることができる。
これは、まるで、健康で力の強い鳥が、
遥かかなたの天の端まで飛んで行った
としても、結局は力の尽きる時がある
こと、または、神の如くに力のある人
が天空に射た弓が、最後にはやはり地に
落ちてくるのと同じある。
このように、衆生の苦しみをはっきりと
見て取った後、菩薩の内心には恐怖感が
起こり、31界の衆生に対して、全くの
分別心なく、慈悲を散布する。
菩薩は、絶え間ない身口意の最高の善に
より、もろもろの波羅蜜を円満成就し、
恒心をもって徹底的に奮闘し、すべての
波羅蜜が最高の境地に到達するようにする。
次に、彼を仏果(すなわち、不可思議、
無上、無辺、無汚染と諸々の清浄、
美徳の蔵)に連れて行く精進力には、
不可思議な力がある。
ふつうの凡人は、菩薩の精進力を聞くのも
怖いものだが、自ら実践するとなると、
まったくもって、困難である。
彼が精進波羅蜜の勤勇(parakkama、
前進力)を成就した後、その後にある忍辱、
真実(+語)などの諸々の波羅蜜、
およびその以前にあった布施、持戒などの
諸々の波羅蜜もまた、諸々の波羅蜜を
修習する精進力によって、円満成就する。
故に、忍辱とその他の波羅蜜の修習に
ついて、このように理解するべきである。
このように、種々の方法でもって、布施を
布施波羅蜜の修習の方法である。
衆生の生命、財物と家庭を破壊しないで、
保護する;離間しない;愛語を述べる;
有益な話をする(つまらない話をしない)
などは、持戒波羅蜜を修習する方法である。
同様に、衆生が布施する四つの資具(cattāro paccaya、すなわち、袈裟、食物、住居と薬)
を受け取る事、法の布施などの善法を行うことは、出離波羅蜜の修習である。
方法善巧智を具備して、衆生に利益と幸福
を提供するのは、智慧波羅蜜の修習である。
この善巧を熱心に実践して、いろいろな
困難にもくじけないのは、精進波羅蜜の
修習である。
忍耐力をもって、衆生の己への難題に
耐えるのは、忍辱波羅蜜の修習である。
偽りなく、衆生を支援する約束を守るの
は真実波羅蜜の修習でる。
衆生に奉仕しているときにでさえも、
己を損することがあっても、不動揺の
決心をするは、決意波羅蜜の修習である。
何度も何度も、衆生の利益と安楽を
思い願うのは、慈波羅蜜の修習である。
他人に助けてもらったり、または困難な
時に、動揺しないことは、捨波羅蜜の
修習である。
このように、菩薩は無上の善業と智慧を
蓄積することに尽力するが、これは、
普通の余人とは異なるところである。
彼は、無辺なる衆生のために、徹底的に
細心に、上記の諸々の波羅蜜の条件を
修習する。
簡単に言えば、この種々の修行は、
「成就波羅蜜」を修習しているのだ、
と言える。
(+ )(= )訳者。(つづく)
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<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」1999年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>