(1)菩薩の手元に布施できる物品が
あるときで、かつ、乞う者が来たが、
しかし、彼の心には、布施をしたいと
いう傾向がない場合、彼は理解する:
「絶対に、私は布施の習慣に慣れて
いないに違いない。ゆえに、このような
良き因縁の時にも、私には、布施を
しようという考えが起きない。」
その後に再度反省して:「布施の心が
私の中で生起することはなかったが、
私は布施をすることによって、布施
することに慣れ、その楽を楽しもう。
今から始めて、私は気前よく布施しよう。
私はすでに、すべての財物を、それを
望む人に、布施すると決意していたの
ではなかったか?」
このように考えて、彼は心愉しく、
執着せずに布施をする。
このようにして、菩薩は「以前から、
布施の習慣がなかった」という、
この障害を取り除く。
(2)十分な財物が手元になくて、
布施できないときは、菩薩はこのように
考える:「以前、私が布施をしなかった
ために、今になって、財物が足りないと
いう困惑に陥っている。ゆえに、私は
どんなものであっても、それが少量で
あろうとも、品質の劣ったもので
あっても、それを布施すると自分の
生活に困ることがあっても、
私はそれを(+布施することを)望もう。
この布施を通して、未来において、
私は布施波羅蜜の頂点に到達する
ことができる。」
このように考えた後、彼は喜びをもって、
執着せずに、布施をする。
このようにして、彼は「十分な財物が
ないために布施ができない」という
二番目の障碍を取り除く。
(3)所有している品物が良すぎて
布施できない時、菩薩はこのように考える:
「おお!あなたは、最高に聖潔な、最も
人にうらやましがられる正等正覚を証悟
したいと願っているのではないか?
それを獲得するために、あなたは最も聖潔で、
最も人がうらやむものを布施しなければならない。」と。これが三番目の障碍。
(4)布施した後で、財物が減少したのを
見て、菩薩は以下のように省察する:
「壊滅と損失から逃れられないのが、
財物の本質である。以前、私は全くの
損失をこうむらないような布施を
したことがないため、今現在、私は
財物の損失という状況に陥っている。
私は、少ないとか多いとかを考慮せずに、
自己の持つ財物を布施しよう。
この布施を通して、未来において、
私は布施波羅蜜の頂点に到達しよう。」と。
適切な反省と思考により、これら布施への
障碍を取り除くことは、布施波羅蜜を
円満成就するための、良き方法である。
同様に、この方法は、持戒などのその他の
波羅蜜に適用することができる。
(+ )(= )訳者。(つづく)
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<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」1999年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>