パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-166(「大菩提乗」編、これにて終了)
波羅蜜の果とは何か?~
「波羅蜜の果とは何か?」という問いに
関する、その簡単な答えは以下の通り:
波羅蜜の果とは、阿羅漢道智と一切知智を
始めとする、無量の仏陀の素質のことである。
すなわち、仏果を証悟するとは、波羅蜜の果
である。
詳細な説明をすると:
その果は、32大人相、80種の好い(+事柄):
身体から発散される80腕尺の周縁の身体の光
(この身体の光は、四種類の状況の下で
あっても、減衰することがない);
色身を基礎とした、10力智、4無畏智、
6つの不共智、18の不共法などの、
無量なる素質を持つ法身、である。
次に、論師は以下のような、一種の偈を
述べる:
「もし、某尊仏が、ただもう別の一尊仏の
美徳を述べたたえ、そして、大劫の時間の
中で、この大劫が終わるまでの間、
それ以外の事柄を話さないでいたとしても、
世尊の美徳への称賛は終わらない」
以上の、仏陀の一切の美徳は、すべて
波羅蜜の果である。
ここにおいて、あなたがたの、仏陀への
無量の資質への信心と称賛を惹起するため、
智慧を増大するために役立つ善行の修習に
資するために、私は、善喜隠士
(後のシャーリプトラ尊者)が、高見仏(Anomadassi Buddha)を称賛した
ときの三首の偈をもって、今回の法話を
終わりたいと思います。
"Sakkā samudde udakaṁ
pametum āḷhakena vā
na tveva sabbaññu
ñāṇaṁ sakka pametave."
「大海の水は、無量とはいえ、
それは計ることができる。
しかし、一切知である仏陀、
天神であっても、人であっても
世尊の智慧の深さを測ることはできない」
”Dhāretuṁ paṭhaviṁ sakkā
ṭhapetva tulamaṇḍale
na tveva tava sabbaññu
ñāṇaṁ sakkā dharetave."
「大地は、無量とはいえ、
それは秤でもって計ることができる。
しかし、一切知である仏陀、
天神であっても、人であっても
世尊の智慧の深さを測ることはできない」
"kāso minitum sakkā
rajjuyā angulena vā
na tveva tava sabbaññu
ñāṇaṁ sakkā pametave."
「天空は、広くても、尺または
手でもって計ることができる。
しかし、一切知である仏陀
天神であっても、人であっても
世尊の智慧の深さを測ることはできない」
私は、ここで、一系列の大菩提乗の
法話を終了したいと思う。
仏に成りたいという願を発心した者に、
その努力が報われて、
願いがかなうように。
生死輪廻を解脱したいという願を発した
者が、一日も早く解脱できるように。
一切の衆生が健康で安楽であるように、
願っています。(+ )(= )訳者。
(<「菩提資糧」大菩提乗編>翻訳終了。
その後に、<「菩提資糧」問答編>の
翻訳を続けます。よろしくお願いします。)
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<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」1999年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>