この点に関して、我々は知っておかねば
ならないことがある。
人類は、その始まりからして、一歩一歩
よりよいものを追及してきて、最も完成度
の高い本能にまで、到達した。
そしてその次に、一つの問題が発生した。
いったい何が、最も完成度の高い、
またはきわめて安楽な状態、境地で
あるのか?という疑問である。
当時、この問題に適切な回答をできる人、
またはこの問題に関して指導ができる人を、
人々は「大師」と呼んだ。
このような状況の中で、ある種の大師は、
物質主義の傾向を持ち、自己の心の欲する
ままの境地を追い求め、その結果、人々の
欲求を満足させることのできる天堂ママ
(=天国)観が生じた。
この種の天堂は、神祇または上帝によって
創造される。
その他に、ある種の宗教の大師は、
天堂を永生ママ(=永遠の命)または
不朽の境地とみなし、かつ、人々にこの
種の観念を指導・教示した。
その後、更に深く思考し、教育が深まった
結果、精神の次元を重視する大師は、
もっとも大きな安楽、もっとも良好な
心霊ママ(=心、精神、霊魂)の境地とは、
かならずや智慧があり、かつ干渉を
受けたりせず、汚染もなく、愚昧さを
持たない心霊である必要がある、とした。
これらの宗教の大師の中で、発見された
智慧のレベルは、それぞれに異なっていて、
あるものは高く超越しており、
あるものは低い。
しかし、彼らの心霊の浄化の程度が
如何に高くとも、多くの人々は依然として、
「自我」はあるのだと感じており、
または「自我」の楽しさを認識して
いるものである。
最後に、仏陀は、究極的な真理を
発見した:
ただ心霊が「自我」の観念に執着しない
ときにだけ、それどころか、清浄にも
執着しない時にだけ、(+心霊は)
最も穏やかで、最も純潔で、苦痛なる
境地から解脱できるのだ、とした。
心霊が、ものごとの中に「自我」を意識
する時、「自我」に執着する。
その時、心ママは解脱することができない。
このことは、後ほど、更に詳細に検討する。
(これは非常に長い命題になるため、
読者は、この章の重点をしっかりと
記憶していただきたい。そうでなければ、
混乱してしまう上に、何等の利益も受け取る
ことができないだろう。)
(+ )(= )訳者。(つづく)
訳者コメント:この種の翻訳をしていて、
一番困るのは、精神的な領域に属する
宗教用語を意訳してよいかどうか、
である。
翻訳者が深く考えずに意訳した所、
別の章で、その言葉が全く別の意味を
もって立ち現われてくるのを発見して、
茫然とすることがある。
の翻訳においては、なるべく意訳を避け、
直訳的手法を採用し、読者の理解を助ける
ために、(= )でその意味を補足
した。
ブッダダーサ尊者は本書で<心霊>という
言葉と、<心>という言葉を使い分けて
いるようだ。これらを混同すると、
後半になって(解説が佳境に入る頃)、
翻訳者は往々にして、途方にくれる
ことになる。
昔、チベットで経典を翻訳する時、
意訳した者は王に首を刎ねられた
そうだが、ことほどさように、
仏教書の翻訳は命が縮む(苦笑)
★誤字脱字を発見された方は、当コメント欄
にてご一報頂くか、または<菩提樹文庫>
まで。ご協力、よろしくお願いいたします。
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>