要するに、仏陀の言う無我とは、有為法と
無為法を含む所の各階層の「自我」を
否定している。
言い換えれば、「幕の前」と「幕の後ろ」
の両方、知識と無知の両方(+をよく知る
必要があるの)である、ともいえる。
仏陀は世間的な言い方を尊重して、善を行い、
悪を行ってはならない、と説いたが、
その時援用した「自我」とは、いまだ真理
が分からず、邪見に執着する衆生のためを
思ってのものである。
ここまでにおいて、筆者が述べたのは、
主に教えの摘要であり、詳細な内容に
ついては、以後の章において、説明を
加える。
次の章では、私は先に、仏教とは異なる
その他の学説における無我論を検討する。
その目的は、彼らの言うところと、仏陀
の教えた真正の無我論とを比較すること
を通して、我々の無知によって、仏陀の
無我論が真正なる義から偏向するすること、
または我々自身が、おかしなことに、
その他の学説の教師になったり、
または伝道者になったりしないよう、
先に予防的措置を取りたいがためである。
(+ )(= )訳者。(つづく)
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翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>