南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

ブッダダーサ尊者著「無我」(翻訳文)ー31

[阿耆多翅舎欽婆羅ーーいかなる事物も

存在しない]

阿耆多翅舎欽婆羅(Ajita Kesakambala)

は、一切の事物の原理を否定している

(この観点は、今日における虚無主義

相当する)。すなわち:

いかなるものも、完全に、存在しては

いない。

人々が感受を受けて、このもの、あのものと

呼びならわしているもの、たとえば、

父親、母親、教師、専門家、尊重(+する

こと)、善悪、この世界、天神、苦行者と

婆羅門など、彼らはそれぞれ、異なった地位

を有し、このようにとか、あのようにとか、

お互いに対応の仕方を(+図っている)。

実際は、これらは、虚妄なる幻相であり、

人はただ元素の集合体であり、それが

分解されるとき、すべての元素は

分離してかつ、元の自然な状態に戻っていく。

人が死んだとき、彼の次の舞台は、火に

焼かれて灰になることだけであって、

霊魂などはなく、また、どこかへ行って

しまう「自我」というものもない。

祭祀という、このような善行も、祭祀の品

を灰になるまで焼くだけであって、

功徳もなければ、受益者もいない。

かように、いかなる事物も、

存在しないのである。

慈善は、懦夫が考え出したもので、

その上、彼らは、この行為が善果を

齎すという。

この種の言い方は誤りであり、ただ一種の

空談にすぎない!

世間には、良い人などというものは

いないし、悪い人もいない。

悪党もいないし、智者もいない。

ただ元素の集合体があるだけで、人が死ぬと、

完全に何もかもが、跡形もなく、なくなる。

(+ )(= )訳者。(つづく)

★誤字脱字を発見された方は、当コメント欄

にてご一報頂くか、または<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

ブッダダーサ尊者著「無我」中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>