ブッダダーサ尊者著「無我」(翻訳文)ー31
[阿耆多翅舎欽婆羅ーーいかなる事物も
存在しない]
阿耆多翅舎欽婆羅(Ajita Kesakambala)
は、一切の事物の原理を否定している
(この観点は、今日における虚無主義に
相当する)。すなわち:
いかなるものも、完全に、存在しては
いない。
人々が感受を受けて、このもの、あのものと
呼びならわしているもの、たとえば、
父親、母親、教師、専門家、尊重(+する
こと)、善悪、この世界、天神、苦行者と
婆羅門など、彼らはそれぞれ、異なった地位
を有し、このようにとか、あのようにとか、
お互いに対応の仕方を(+図っている)。
実際は、これらは、虚妄なる幻相であり、
人はただ元素の集合体であり、それが
分解されるとき、すべての元素は
分離してかつ、元の自然な状態に戻っていく。
人が死んだとき、彼の次の舞台は、火に
焼かれて灰になることだけであって、
霊魂などはなく、また、どこかへ行って
しまう「自我」というものもない。
祭祀という、このような善行も、祭祀の品
を灰になるまで焼くだけであって、
功徳もなければ、受益者もいない。
かように、いかなる事物も、
存在しないのである。
慈善は、懦夫が考え出したもので、
その上、彼らは、この行為が善果を
齎すという。
この種の言い方は誤りであり、ただ一種の
空談にすぎない!
世間には、良い人などというものは
いないし、悪い人もいない。
悪党もいないし、智者もいない。
ただ元素の集合体があるだけで、人が死ぬと、
完全に何もかもが、跡形もなく、なくなる。
(+ )(= )訳者。(つづく)
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翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>