ブッダダーサ尊者著「無我」(翻訳文)ー36
[尼乾陀若提子ーー罪業を取り除いて
永恒の「自我(ママ、以下同様)」を証悟する]
尼乾陀若提子(Nigaṇṭhanāṭaputta)の観点
は、パーリ経典《沙門果経》の中において、
下記のように記されている:
束縛から解脱した人になりたいのであれば、
最終的に四つの階位に到達できるよう、
努力しなくてはならない。
すなわち、罪業を防御するための「法」に
よって罪業を防御し、罪業から解脱できる
「法」を実践し、罪業を取り除くことが
できる「法」によって罪業を取り除き、
罪業を取り除くことのできる「法」に
よって、荘厳で崇高な生命の頂点に到達する。
人がこれらの実践ができたとき、彼は
「自我」を証悟し、修行を円満成就し、
永恒と不朽を獲得したと、認定される。
最初の始まりから現在に至るまで、この
観点は、仏教と相互に対抗し続けた。
もし我々が、歴史と関係のある書物を読めば、
または中立的な、偏見のない歴史的観点から
みたならば、しかも、ただ論・釈関連の
仏教書を読むだけでないならば、我々は、
この学説の信徒は、仏教と同じくらい多い、
いや、仏教より尚、多いことを発見する。
仏陀の時代、国王などの高級階層の人士は、
この二種類の宗教学説に対して、同様に
尊び崇めた。
我々(+仏教徒)自身の論・釈は、故意に
また過度に、その他の宗教学説を軽視する
傾向があるが、しかし、あるところ(+の
書籍の上)では、この異端の学説を、
いくつかの都市、村落においては、仏教より
さらに多くの弟子と信徒がいたことを認め、
そのように指摘・解説している。
(+ )(= )訳者。(つづく)
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訳者コメント:Nigaṇṭhanāṭaputtaは、
は戒を厳しく守り、偸盗をしないので、
銀行の経営、また宝石商が多い(預けた
宝石を持ち逃げしたりしないから、とか。
不殺生戒を守るため、農業には従事しない)。
裸体派と白衣派に分かれつつも、教理の
違いはなく、今なおインドで健在である。
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>