Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

ブッダダーサ尊者著「無我」(翻訳文)ー43

[断滅論者は「自我」と「無我」

否定する]~

無我論者は、一切の事物を否定するが、

その中で、耆多翅舎欽婆羅の観点は、

いわゆる「断滅論」である。

この種の観点は、他人のいかなる見方も

受け付けず、「自我」と「無我」の両方を

否定する。

彼らは、苦痛から抜け出すところの、

いわゆる涅槃というものを認めず、ゆえに、

涅槃が究極的に「自我」であるのか「無我」

であるのかには、関心がない。

富蘭那迦葉の観点は、彼とおおむね一致して

おり、しかし、貪欲の対象はあることを

認めていて(これは二次的な観点である)、

たとえば、目で見ることのできるモノだけが、

存在している、と言う。

概して、これらの人々は、一つ一つのモノ

には、本質(=実質)はなく、ただ蜃気楼の

ような幻相だけがあり、これらもまた究極的

には消失するのだ、と言う。

総じて、我々は、「自我」を主張するのは、

永恒の人であることを発見する。

(+彼らは)一種の永恒なる霊魂

(sassatadiṭṭhi 常見)の存在を認めている、

すなわち、彼らは、一つの、永恒に存在する

個体(=個人)が存在しているのだと

考えている。

我々はまた、あの「自我」など完全に

全くもって、ないのだと主張する人々は、

一種の「断滅見」であり、我々が前に

説明したモノは、皆存在しないのだ、

言い換えれば、存在するものは何もない

のだ、と言う。

(+ )(= )訳者。(つづく)

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ブッダダーサ尊者著「無我」中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>