Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

ブッダダーサ尊者著「無我」(翻訳文)ー50

意識活動は、因縁法によって規制される~

仏陀は、遊行者に以下のように説明した:

あれら、意識は因と縁の規制を受けないと

考えている人たちは、当然、間違っている。

というのも、意識は、個人の行為によって

生じるし、また消滅もするからである。

仏陀は続けて言う:

一人の僧が、如何にして禅定(jhāna)、

初禅から無所有処定

(ākiñcaññāyatanajhāna)にまでに

入るのかを解説し、そのあとで、仏陀は、

それぞれの禅定について、一つひとつ、

個別に例を挙げて、説明した。

たとえば、ある僧が、初禅に到達した時、

彼の意識または思惟は感じ取れなくなるが、

それに代わって生起するのは、心の混乱

から遠く離れたことによって生じる喜悦

(pĪti)と安楽(sukha)である。

これが、意識が、禅定の努力の下で生じ、

また滅する状況である。

こういうことであるから、どうして、

意識の生起と消失には、因縁が関係して

いない、と言えるだろうか?

第二禅に入ったとき、尋(vitakka)と

伺(vicāra)の意識は消失し、代わりに

生起するのは、定(samādhi)による

喜悦である。

第三禅のとき、喜悦の意識は消えて、

静けさから生じる安楽があるのみ、である。

第四禅のとき、安楽の意識は消え、

静かになり、浄化された後に生じる、

無分別の感覚だけが残る。

(+ )(= )訳者。(つづく)

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ブッダダーサ尊者著「無我」中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>