Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

ブッダダーサ尊者著「無我」(翻訳文)ー57★

布咤婆楼!

ある種の苦行者と婆羅門は、以下のような

考えを持っている。

(+彼ら)曰く、死後、彼の「自我

(ママ、以下同様)」は、完全に安楽になること

ができ、それにぶつかったり、それを

踏みつけたりすることができるモノは、

ない、と。

私は彼らに会いに行き、彼らに対して、

本当にそのような観点と言い方が

存在するのかと、尋ねた。

彼らは、本当だ、と言うので、私は

質問した:

「あなた方は、過去において、安楽のみが

あって、苦痛のない世界を見たことがあり、

かつ、それを知っているのでしょうか?」

と。

彼らは:「いいえ」と答えた。

それで私はまた質問しました:「あなた方は、

常楽なる『自我』というものを、はっきりと

知覚することができますか?

それは一夜でも、一日でも、半夜でも、

半日でもいいのですが?」

彼らは答えました:「いいえ」

次に私は聞きました:「あなた方の修行方法、

あなたがまさに現在修行している、

その方法は、常楽の世界を実現することが

できますか?」

これにも、彼らは否定的な回答をしました。

それでその後に、私はまた質問しました:

「以前、常楽の世界にいる仙人が、

『世の人々よ!善を行い、誠実に修行した

ならば、常楽の世界、苦痛のない世界に

到達することができる。我々はすでに

このようになしたが故に、このような

常楽の世界に到達したのだ』というのを

聞いたことがあるだろうか?」

これについても、彼らは否定的な回答を

しました。

故に、注意深く聞きなさい、布咤婆楼!

状況はこのようであるならば、彼らの言

い方に根拠はあるのでしょうか?

布咤婆楼は答えました:

彼らの言い方には全く根拠がない。

仏陀は引き続き言いました:

布咤婆楼!

これはまさに、ある人が以下のように言う

(+ことと同じである):

「私は、ある家の美しい娘を思慕し、追い

求めている。」

しかし別の人が彼に尋ねる:

「彼女とは誰か?その人は武士階級の娘か?

祭司(婆羅門)階級か?平民階級かまたは

賎民階級か?」

彼は答える:「私は知らない」

彼らは再び尋ねる:「彼女の名前は何?姓は?

彼女は背が高い?低い?中くらい?彼女の

皮膚は黒い?白い?それとも黄色い?

女はどこの村、どこの郡、どこの県、

どこの国に住んでいる?」

彼はまた答える:

「私は知らない」

故に人々は言う:「青年よ、あなたは会った

ことのない娘さんを思慕し、追い求めて

いるのではないだろうか?」

彼は答える:「はい、そうです」

布咤婆楼!

もしあなたが、この青年の会話の中から、

実質的に意義のある話を見つけ出すことが

できるならば、あなたは、あれら苦行者と

婆羅門が言う話にも真実を見つけ出すこと

ができるだろう。

これが、「自我」はあると言いながら、

実際に質問をされてみると、彼らは「自我」と

は何かを知らないということが明らかに

なってしまう(+現実の状況なのである)。

布咤婆楼!

これは、ちょうどある人が、梯子を造り、

十字路に持っていき、人々に向かって、

私は城壁を登るのだ、と言ったとしよう。

それを見た人々が彼に質問する:

「どの城壁を登るのか?城壁はどこにある?

東に?西に?南にそれとも北に?

城壁は高いのか?低いのか?それとも

中くらい?」

彼は答えて曰く:「私は知りません」

そして、彼らは更に進んで質問する:

「梯子は、あなたが一度も見たことのない

城壁にかけようとしているのか?」

彼は答える:「はい、そうです」

布咤婆楼!

あなたはこの人の話を、実質的で意義の

あるものだと思いますか?

あれら苦行者と婆羅門が言う所のモノ

(すなわち、彼らが知っていると言っている、

楽なる「自我」)は、上の状況と

同じなのです。

(+ )(= )訳者。(つづく)

訳者コメント:上の章は、カギカッコ、

句読点等が不統一ですが、あえて、

原文のまま、とします。最終的に校閲する

段階において、原文まま、の方が

校閲し易いので。最後の校閲で整合性を

調整しますので、よろしくお願いいたします。

★誤字脱字を発見された方は、当コメント欄

にてご一報頂くか、または<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

ブッダダーサ尊者著「無我」中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>