布咤婆楼!
もし、その他の苦行者と婆羅門が私に:
「あなたは『自我(ママ、以下同様)』はない、と
言っているが、それならば、あなたの言う
『自我』とは、一体なんであるのか?」
と問うならば、この問題に関して、私は
このように答える:
「一体この『自我』であるのか、それとも
あの『自我』であるのか、という事は重要で
はない。しかし、あなたが心の中で理解し、
かつ執着しているところの『自我』、これは
あなたが必ずや捨て去らねばならないもので、
捨て去った後に、安楽になるものなのです。」
布咤婆楼!
この事(すなわち、私が彼らに捨てるように
教えた所の、心の中で理解し、かつ執着して
いるところの「自我」)は、ちょうど、
ある一人の人間が、梯子を造り、城壁
(原文:砦の壁)の下に持っていき、梯子を
城壁のもたれかけさせて立てようとしている
時、人が来て:「あなたは、あなたが自分で
造った梯子を用いて登ろうとしているのは
どの城壁ですか?」と聞いたとして、
彼は:
「まさにこの城壁なのです。私はすでに梯子
を城壁の根元に掛けました」と言う(+よう
なものです)。
この譬え話からみて、あなたは、私の話に根拠
があると思いますか?
布咤婆楼は答える:
「これは確実に根拠があります。」
この時、吉達象使いが言った:
(+ )(= )訳者。(つづく)
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翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>