Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

ブッダダーサ尊者著「無我」(翻訳文)ー62

仏陀が排斥した「自我」~

我々は、前述のパーリ経典の経文に基づいて、

以下のような結論を得ることができる:

(一)多くの、異なる学説の教師は、「自我」

はあるのだ、と主張している。

そして、人が死ぬと、この種の「自我」は、

安楽になり、なんらのものからの傷害も

受けない、という。

これらの人々は、この種の「自我」と、

「自我」が赴く常楽世界を知っているのか

どうか、または、彼らの修行(+方法)が、

人々に常楽世界に到達できるものであること

を実証できるのか、または、その世界に住む

神が、彼らに、この種の世界の存在を保証し

たのかと問うた時、彼らは正面から回答する

ことはできず、どの質問にも、確実に実証

してみせる、ということもできないでいる。

このように、彼らの観点は、ただの夢想に

過ぎず、ちょうど年若い青年が、存在しない

美しい娘さんを愛しているようなもの

または、梯子を作って、自分さえどこに

あるのか知らない家に、上ろうとしている

ようなものなのだ。

(二)仏陀は、己自ら、各種の「自我」を捨て

去るように唱え、導く。

人々が:「捨て去るべき『自我』はどこに

あるのか?」と問う時、仏陀は答える:

「それは人々が執着するところにある。」

その時々に、人々が執着するところの「自我」

が何であろうとも、彼らの心の中では、それを

捨て去るべきであることは、非常にはっきり

している~永遠にそれを「自我」だと

見做してはならないのだ(+ということも

知っている)。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ

(つづく)

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ブッダダーサ尊者著「無我」中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>