問1-3:一般的には、人は死んだあと、なお霊魂
があり、永恒で不死であると考えられて
いますが、これは常見です。
仏陀は我々に常見と断見を捨離して、中道を
採用するように言いましたが、中道とはどう
いうものですか?
そして、我々は、人が解脱していないならば、
六道で輪廻することを認めていますが、それ
は、人には霊魂なる自我がある、ということを
意味していて、常見ではないでしょうか?
漢訳の《雑阿含経》では、八聖道分は、世間的
と出世間的の立場で説明できると書いて
あります。この点に関し、禅師に簡単に説明
して頂きたいのですが、いかがでしょうか?
凡と聖のそれぞれの効用と利益は、どのような
ものでしょうか?
答1-3:中道とは八聖道の事である。世間的な
八聖道分は、聖道を証悟する前の戒、定、智慧
の三学の中に含まれる;出世間の八聖道分は、
四種類の聖道(ariya-magga)である。
世間的な八聖道分の中、正語、正業と正命は
戒学に属する。正精進、正念と正定は、定学に
属する。ゆえに、あなたが止禅を修習する時、
それは三項目の聖道分を育成しているので
ある。
正見と正思惟は慧学に属する。
八聖道の第一項は正見であるが、では、正見
とは何か?
正見とは、苦諦、集諦、滅諦と道諦を正しく
理解する事である。
苦諦とは何か?五取蘊が苦諦である。
あなたが、色業処と名業処の修行をするとき、
観智でもって、あなたとその他の衆生は
すべて、ただ名色のみによって、またはただ
五蘊のみによって構成されていて、まったく
もって「私」というものは存在しないのだ、
ということを、見ることができる。
この段階において、あなたは何が苦諦である
かということを理解し、かつ、この種の正見
でもって、暫定的に身見を取り除くことが
できる。(問1-3、つづく)