問1-4 (+台湾・中国の文化圏の)一般の
人々は、死者に金・銀紙を焼いて供養します
が、これは迷信ですか?
答1-4 南伝仏教ではこのような習俗はない。
しかし、我々は、死者の名義で善事、たとえ
ば、布施などをして、その功徳を死者に
回向することはできる。
もし、死者が、他人の功徳を分かち合うこと
のできる、そういう種類の餓鬼に生まれ
変わっているならば、誰かが彼に回向
したのを知って、そして、そのことに随喜の
功徳心を起こすことができたならば、
彼は、その功徳の利益を受け取ることができ、
それによって、善道に生まれ変わることが
できる。
しかし、死者が、その他の種類の餓鬼に生まれ
人道、阿修羅道などに生まれ変わっている
場合、他人が回向した功徳を分かち合うことは
できない。
問1-5 一人で暮らすのが好きな人は、付き合い
の悪い人だと見做されます。一人でいる事と、
集団の中にいる事を、どのように考えたら
いいのでしょうか?
答1-5 集団生活は、禅の修行に利益がない
ばかりでなく、禅定と観智の修行にとっては、
大きな障礙となる。
どのような道・果であっても、それを証悟
する前、あなたは一人でいて、努力して
修行し、絶対に、集団生活の中でゴタつく
生活をしてはならない。
(+あなたが一人で暮らすと)ある種の人々
は、あなたの良い面を見て、あなたは仏陀の
教えを真剣に守って生活をし、仏法の修行に
努力している比丘、比丘尼だと思って
くれるかも知れない;
また別の人々は、あなたを誤解して、あなたは
人と親しまない人だ、と言うかもしれない。
他人があなたをどのように評価するか、という
問題は、あなたがリードして決められるもの
ではない。
というのも、世の中すべての人間に、あなたを
良い人だと思ってもらうことは、不可能である
が故に;
いわんや、他人の評価はあなたにとって、少し
も重要ではなく、あなたは別に、他人からの
評価によって、証悟して聖人になったり、
地獄に落ちたりするわけではない。
もし、あなたが、集団の中で人々と往来したい
というのであれば、最も良いのは、先に
阿羅漢果を証悟してから、それを楽しめば
よい;
もし、阿羅漢果を証悟する事ができないの
ならば、少なくとも須陀洹道果を証悟しておく
必要がある。
しかしながら、もし、あなたが道・果を証悟
するにはどうしたらいいのかを知らないので
あれば、あなたは、優れた見識があり、かつ
有能な導師について学習し、道・果を証悟
するまで、彼の指導の下で修行するべきである。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。
(つづく)
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<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」1999年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>