Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-172

問1-7:「禅宗」では、頓悟の法門によって「明心見性」に到達すると、大いに円解を開く、と言います。また、禅の修行をしなくても、明心見性を証悟することができる、という人もいます。

禅の修行をせずとも、明心見性を頓悟する法門について、教えてください。

答1-7:私は北伝の仏法を理解していない。ゆえに、私はあなたの言う所の、「頓悟」とは何を指すのかは知らない。

しかし、私は、あなたに南伝の教えを解説しようと思う。

南伝の仏法では、人は、四種類に分ける:

一、敏知者(ugghaṭitaññu)ーー仏法の短くて簡潔な開示を聞いただけで、証悟する人。

二、広演知者(vipañcitaññu)ーー仏法の詳細な解説を聞いて後に証悟する人。

三、所引導者(neyya)ーー仏法を聞いただけでは証悟することはできず、仏法を精進修行して後、証悟する人。

四、文字為最者(padaparama)ーーこの一生の中で、どのように精進しても、証悟することができない人。

現在では、前の二種類の人はすでに存在せず、後ろの二種類の人しか存在しない。第三番目の人(neyya)は、系統的に止禅と観禅を修行しなければ証悟できない:(+修行者は)強くて力のある禅定を育成したのち、すべての色法を照見し、その後にすべての名法を照見する必要があるが、これが明心の第一歩である。彼が更に進んで、縁起の修行をするとき、更に進んで心の自性を明らかにすることができる。彼が更に一歩進んで、縁起の修行をするとき、彼の心得、領悟は、更にいっそう深まる。彼が阿羅漢果を証悟する時、明心の最高峰に到達する。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ

(つづく)

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<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」1999年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>