6、どのように修行して定に入るのか?
世尊は言う:
「謂如所縁、作種種作、而入於定」
ここで言うと所の所縁とは、浄土宗において「阿弥陀仏」の仏号を念じ続けて、念ぜずといえども念ず、念ずといえども念ぜす、という境地、道家では「竅を守る」というレベル、密教の呪と観想、禅宗の参話頭などなど、みなそうである。
唯識の観点から言うと、所縁とは「作意」の事で、意識の上で特別な造作をする事であり、個人のそれぞれ異なる所縁に基づいて、定に入るのである。
(+ )(= )訳者。(つづく)
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<陳居士「修心与神通」中国語→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>