Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「修心与神通」(翻訳文)-11

10、弥勒は、なぜ座禅・瞑想の第一歩は資糧の円満具備から始めよ、と言ったのか?

仏を学んで座禅・瞑想する時、もし、智慧の資糧と福徳の資糧を具備しないままに、ただめくらめっぽう修行するならば、非常に危険な後果が生じ、その結果、曲りくねった迷路の中で出口を探し求めつつ、生きたままがんじがらめになり、迷路から出てくることができなくなる。

それなのに、自分自身では、己のの修行は、なかなか大したものだと思っていて、他人に対して奇幻なる境地を披露する。

これでは、他人があなたを精神病患者だと思わないはずがないではないか!

どういう原因で?

どうしてこうなるのか?

第一、あなたは他人の邪魔をしなくても、他人があなたの修行の邪魔を修行に来る。

たとえば、普段はお互いに行き来しないようにしていたり、また、あの家はこうだ、この家はああだなどと噂話も好きではなく、日々これ平穏に過ごしているのに、いざ、定の修行のために坐禅すると、おお、不思議不思議、家の電話が鳴り響く。

こっちに問題がなければ、あっちに問題があり、親戚か先輩に問題が起こり、あなたは嫌でも飛び回らなければならなくなる。

で、あなたはどうやったら定に入れるというのか?

第二、あなたの功徳が足りない時、事件が起きてあなたはそれに巻き込まれることになる。

あなたが想像できないような各種の奇怪な事件が発生したり、自分とは全く関係のない事件が、突然、あなたに降るかかったりする。

または、身体が健康であったのが、突然、気分が悪くなったりする。

あなたは、どうやったら定に入れるというのか?

第三、人が成したもの、非人がなしたもの、声がなしたもの、効用が成したもの等(+の問題)がある。

これらは、皆、成果を求めすぎ、成果を焦りすぎ、成果に執着しすぎて、己自身で魔境にはまり込んだもので、これを「効用作用」と言う。

事実は、魔というものは最初からなく、一切は、己自身の心の魔が造りだすものである。

いわゆる外魔、内魔、これは皆、唯心によって幻現するものである。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(つづく)

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<陳居士「修心与神通」中国語→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>