Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-189

問3-13:

ある老比丘尼が、よく信者にこう言います:

「あなたが以前に堕胎した嬰児が、いまあなたについて回っています。あなたが累劫に積み重ねた(+不善のために、あなたを)恨んでいる者、仇討をしたいと思っている者が、あなたについて回っていて、あなたに色々な障礙を齎している。ゆえに、あなたの事業は失敗し、病気になり、家庭は不和になり、争いが絶えず、あなたは癌になるでしょう、と。

禅師、お伺いします。

堕胎された嬰児、及び累劫に積み重ねた恨みのために己に敵対し、己に恨みを抱いている者は、報復のチャンスを狙うために、24時間自分に付きまとうという事はありますか?

答3-13:

仏陀は言う:

胎内で死んだ嬰児は、生まれてくる嬰児より安全である。一人の嬰児が胎内で死亡したならば、彼は臨終の時に熟した業により、彼は五道の中の一つに生まれ変わります。もし、地獄道畜生道、人道または天道に生まれたならば、彼は母親について回ることはできません。もし、彼が餓鬼道に生まれたならば、ほとんどの場合、以下のような状況になります;彼は非常に大きな苦しみに会います。それゆえ、過去の母親について回ることはできません。ある種の餓鬼だけが、母親について回る可能性がありますが、ただ、どの嬰児がそのような状況にあるのかを決定するのは、非常に難しい。それに、たとえ、彼が母親について回っているとしても、母親に大きな傷害を齎すことはなく、時たま、彼女をちょっと驚かすか、彼女に嫌な匂いをかがすかするだけで、ですから、母親は恐れる必要はありません。

母親が理解しなければならないのは:己はすでに一つの悪業をなしている。というのも、堕胎は殺人であるから。

もしこの悪業が彼女の臨終の最後に熟したならば、彼女は四悪道の一つに落ちる。しかしながら、すでに済んでしまった事柄に対して、泣いても何の役にも立たない。というのも、出来事はすでに為されており、誰もそれを無かったことにはできないのだから。

彼女がしなければならない事は:同じような悪業を二度と行わないようにする事。もし彼女が、すべての悪業を避けることができ、善業を行うよう努力するならば、それが一番良い。

彼女が、布施を実践し、五戒を守り、止禅と観禅を修行することができるなら、それは更に良い。

もし、これらの善業の一つが、臨終のときに熟するならば、彼女は善道に生まれる事ができる。もし、ソータパナ道果を証悟することができるならば、彼女は、永遠に悪道に生まれ変わることはない。今生で、五種類の無間業の、どれか一つをもなしていないのであれば、彼女には聖果を証悟する可能性が残されている。

五種類の無間業とは:

父殺し、母殺し、阿羅漢殺し、生きている仏陀の身体に血を流させる、和合しているサンガを分裂させる、である。

一つの明確な例は、アングリマーラ尊者で、彼は在家の時に多くの人を殺した。しかし、彼は比丘として出家した後、なお阿羅漢果を証悟することができた。

このように、以前堕胎したことのある母親は、このことで更に憂える必要はない。そのように憂えても、彼女の生活に、何等の益を齎すことがないが故に。それよりも、彼女は、生きている間の年月を大事にして、善業を実践するよう努力するべきである。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(つづく)

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<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」1999年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>