ミャンマーのクムダ・セヤドーの下で、二度目の出家を果たしてもうすぐ満二年になります。
家(庵)で寛ぐときは作務衣を着たり、庭仕事の時はツナギを着たりしますが、出かけるときはミャンマーのsayalay(尼僧)の正装をします。
ここは小さな田舎町なので、そんな浮いたような服装で、みなさんの反応が心配でしたが、どうやら杞憂に終わりそうです。
今日、水中運動のために温泉プールに行くと、女性が一人近寄ってきてこう言うではありませんか
「あの~~、その服装は・・・頭も剃っていらっしゃるし・・・尼僧さん?ああ、やっぱり尼僧さん!」
「お願いがあるのですが、三蔵法師って偉い人がいますよね。あの人が中国からインドへ行く旅をしたシルクロードを、私も旅したいのですが、どこの旅行社のツアーがいいですか?」
私が中国の秘境に強い老舗の旅行社を教えると「ミャンマーにも行きたのですよ。あのピカピカ光る仏塔を見たいのです」
ピカピカ光る仏塔とは、シェーダゴン・パゴダの事ですね(笑)。
ミャンマーには、私がお連れしてもいいですけれど、そんな話をするのはまだ早計ですから、「自分はミャンマーで出家した尼僧だ」ということだけ、お伝えしました。
「ミャンマーで出家?えっ、出家ってどうやったらなれるのですか?」
とびっくりされていましたけど、南伝仏教のテーラワーダは、出家も還俗も自由な事、己の幸せと他者の幸せを願って修行の生活に入ること、他に望みはないことを言うと、ちょっとびっくりしていましたけれど、本来、仏法を学ぶとはそういうことであって、仏法を学ぶのは出世の種でもないし、ましてや商売の種であるはずがない。
仏法の修行は、己との戦いであり、つらいこともあるから、私は、勧誘は、しない。
一人一人が、己の人生に仏法が必要かどうか、己自身が己に問うしかないと思います。