Sayalay's Dhamma book

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パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-199

問5-6:

一人の凡夫の比丘が、長期的に、極度の苦痛を伴う疾病におかされた時、また医薬が効力を発しない時、どのようにして如意作意をして、この苦痛をやり過ごすか、または、苦痛を忍べばよいですか?

答5-6:

我々は必ず知っておかねばならない:

仏陀でさえも病気になったことを。

仏陀が般涅槃する前の10か月間、彼は非常なる背中の痛みを感じ、それは般涅槃まで続いた。

彼でさえそうであれば、我々は、どのようにして病苦、病痛から逃げることができるだろうか?

我々が長期的に、苦痛でかつ治療方法のない疾病にかかった時、疾病に対して怒ったり、天や人を恨んだりしても意味がない。

我々にできることは、病痛に耐え、病痛と共にいて、かつ、十分に我々の生きている年月を利用して、仏法の修行をする事である。

実際、この世間で、徹底的に病気を治せる医師というのはおらず、医師はただ、当面の病気を治してくれるだけなのである。

というのも、仏陀も言うように:「五蘊そのものが病である」のだから。

五蘊があれば、我々は病気をする。

もし、本当に病痛を根底から根治させたいのであれば、あなたは修行に努力して、涅槃を証悟することだ。涅槃に名色はなく、当然、病痛というのもない。

病気の比丘は、病痛によって生じる苦受を対象として、観禅の修行をすことができるが、これを受念処という。

しかしながら、道・果及び涅槃を証悟したいのであれば、感受を観照するだけでは足りず、必ず、その他の四種類の蘊、すなわち、色蘊、想蘊、行蘊及び識蘊を観照しなくてはならない。

また、彼は、五蘊の因を観照し、その後に五蘊およびそれらの因は無常・苦・無我であることを観照しなければならない。彼の観智が熟する時、彼は道・果および涅槃を証悟することができる。

問5-7:

ビルマ(=ミャンマー)の南伝仏教は、一人の還俗した比丘が、再度出家したいと申し出たとき、彼は、サンガに入ることはできますか?

答5-7:

南伝仏教の戒律によると、還俗した人が再び戒を受けて、出家することを禁止していない。

仏陀の時代、名を吉達(Citta)という比丘は、6度出家し、6度還俗した。七回目に彼が再度出家して比丘になった後、彼は還俗することはなかった。というのも、彼は阿羅漢果を得たからである。

ビルマとタイには、多くの、一時的、短期的に出家する比丘がいる。彼らは通常、何日か、または何か月かだけ出家するが、これは、この二つの国の伝統である。

しかしながら、仏陀の時代には、いわゆる「一時出家の比丘」というものはなかった。我々は、一時的、短期的出家というやりかたを推奨するべきではない。

ただ、このような伝統に対して、私には、それを変える力がない。

問5-8:

大龍長老の物語の中で、神通で出してきた憤怒の大象は、人を害しますか?長老は神通で大象を出してきたのだから、神通でもってそれを消すこともできたのではないですか?あの時、<消す>と言うことを思いつかなかったのでしょうか?恐怖心が起こってしまうと、神通力は同時には存在することができないのでしょうか?

答5-8:神通で変化して出してきた大象は、人を害することはない。あの時、大龍長老は神通力で大象を消すこともできたが、しかし、彼はそのようにはしなかった。というのも、彼は忘れたのである。恐怖心と神通心は異なる心路過程に発生する。両者は同時に存在することはない。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(つづく)

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<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」1999年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>