南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-203★

問5-14:

菩薩道を行じたい人は、どのようにすれば、ただ行捨智のみ証悟し、その後、道智を証悟しないようにすることができますか?

答5-14:

もし彼が、すでに授記を受けた菩薩であれば、彼が仏と成る最後の世を除いては、どのように修行に精進しても、なんらの道果も証悟することができない。いまだ授記を受けていない人で、もし彼が、仏に成りたいという強烈な願望がある場合、彼の観智は、行捨智までくると自動的にそこに停まったままになる(それ以上の証悟は、できない)。

問5-15:

南伝の経典の中で、世尊は、弥勒菩薩が仏となるよう授記を与えた(+と書かれていますが)、その他の菩薩にも授記を与えたのでしょうか?

答5-15:

スリランカで書かれた《未来種経Anāgatavaṁsa》の中に、10人の人が仏陀から授記を受けたとあるが、しかし、この書は後世の人が書いたもので、パーリ聖典には属さない。

問5-16:

順序良くパーリ語の蔵と経を学ぶにはどのようにすればいいですか?それはどのような特色がありますか?

答5-16:

もし、徹底的に南伝三蔵またはパーリ聖典を研究したいのであれば、最もよいのは、先にパーリ語を学んだあと、直接パーリ語の三蔵を研究することである。というのも、いまだに、多くのパーリ聖典がその他の言語に翻訳されていないからである。また、パーリ語原典から翻訳された著作の内、意味が多少変化しているものもある。

異なる国家において、パーリ語の文法は、用法の上で若干の差異がある:しかしながら、あなたは何か一種類の文字で保存されてきたパーリ語を選んで(+それを学ぶのが良い)、たとえば、スリランカシンハラ文字パーリ語または緬甸(=ミャンマー)文字のパーリ語等。

これ以外に、あなたは博学の導師の下で、これらの聖典を研究しなければならない。パーリ三蔵の研究をするとき、あなたはまた、同時に注釈とその復註を研究するべきだ。というのも、注釈と復註の研究をしないのであれば、あなたは徹底的にパーリ三蔵を理解することはできないが故に。

三蔵とは、律蔵・経蔵と論蔵を含む。三蔵の中では、比丘、比丘尼は、必ず徹底的に律蔵の研究をするべきである。経蔵は、多くの経を含み、我々に阿羅漢果を証悟するための修行方法を紹介してくれている。色業処・名業処および12因縁を修行している人には、《アビダンマ論》の基礎知識が必要である。そうでなければ、これらの業処を徹底的に修行することはできない。

問5-17:

初果ソータパナ、二果斯陀含サカダーガーミ、三果アナーガミ、四果阿羅漢はそれぞれ、どのような煩悩を断じていますか?禅師、開示して頂けますか?またはどの経論に書いてあるか、根拠をお示し下さい。

答5-17:

ソータパナは、身見、疑及び戒禁取見を断じている。ある種の経及び《アビダンマ論》では、嫉妬と吝嗇もまた、ソータパナの段階で断じられている、という。サカダーガミは感官の欲望と瞋恚怨恨が軽減されている。アナーガミは感官の欲望と瞋恚怨恨を断じている。阿羅漢は残りの五種類の高レベルの結(五上分結)を断じている、すなわち、色界欲、無色界欲、驕慢、掉挙と無明である。

問5-18:

禅師にお訊ねします。目の悪い人、耳の悪い人は眼浄色、耳浄色がないのでしょうか?

答5-18:

もし全盲、全聾であれば、その通りである。

問5-19:

もしも、一人の人間が、右手が不自由で、左手だけで用をなすが、非常に智慧があり、また因縁があって具足戒を受けたとします。彼の戒臘が十分である時、彼は、他の人に具足戒を授けることはできますか?

答5-19:

南伝の戒律に基づけば、彼は他人に具足戒を授けることができる。ただ、彼自身が初めて具足戒を受けるとき、授戒の儀式に参与した比丘は、突吉羅罪(dukkata)を犯したことになるが、右手が不自由な比丘自身は、何等の罪も犯していない。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(つづく)

訳者コメント:答5-19では、手が不自由な人に戒を授けた比丘は戒律違反で、戒を受けた人は無罪である、と書かれています。

ということは、戒律違反であっても、手が不自由な人に授戒をしてあげてもOKという訳です。2000年前のキリストが、それ以前にあったユダヤ教の厳しい戒律主義を批判して、博愛を説いたのと、少し似ていますね。

戒と律は、他者を罰するためにあるのではない、己を律するためにある、ということです。

我々は、何事もいったん成文化されるやいなや、それに執着して、本来の目的から離反する傾向があり、気を付ける必要があります。

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<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」1999年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>