尊者よ、私には四人の妻がいます。
私は家に帰ると、私は彼女たちに言いました:『私はすでに不淫戒を持するという願を発した。あなた方は、ここに残りたければ残ってよいし、随意に私の財産を使って善行をなしてよい;
実家に帰りたい人は帰ってもよく;
他の男性に嫁ぎたい人は、誰に嫁ぎたいかを教えてくれればそれでよい』と。
私の正妻は、ある男性に嫁ぎたいと言ったので、私はその男性を呼んできて、左手で妻の手を握り、右手に水瓶を持ち、(+儀式をしてから)そのまま彼女を男性の元にやった。
妻をその男性の元に送るとき、私はまったくの動揺も影響も受けることはありませんでした。
これが三番目の不思議です。
尊者よ、私はすでに早くから、私の一切の財産を多くの比丘に供養することを決めていました。
私は、己のためには何一つ財産を残さず、一切をサンガに捧げました。これが第四番目の不思議です。
尊者よ、私は常に比丘に対して尊敬の念でもって対応し、今まで一度も不敬であったことがありません。もし比丘が私に法を説くならば、私はただ恭しく彼の説法を聞き、今まで不敬であったことは一度もありません。
もし比丘が私に向かって説法をしないのであれば、私が彼に説法をしました。
これが第五番目の不思議です。
尊者、私がサンガの(+比丘たちを)我が家に招いて供養・接待する時、天神は彼らがいまだ到着する前に、私に知らせてくれます:
『居士、なにがしの比丘は聖人で、なにがしの比丘は戒行のある凡夫で、なにがしの比丘は戒行が無い』と。
天神たちが前もって私に、比丘たちの事を知らせてくることは、私にとっては、何ら驚くべきことではありません。奇妙なのは、私がサンガに食べ物や品物を供養する時、私はかつて一度も『私はこの比丘に多く供養しよう、なぜならば、彼は聖者だからとか;この比丘には少なく供養しよう、なぜならば、彼の戒行は不清浄だから』などと思った事は一度もありません。
実際、私は、誰が聖者か、誰が有徳者か、無徳の者かを区別したことは全くなく、おひとりおひとりに、平等心で布施をしました。
これが六番目の不思議です。
尊者よ、天神たちは、仏陀の教えは善説であり、教えには善説の功徳があると知らせてきました。天神がこれらの事を私に知らせてくれることは、私にとっては、特別驚くべきことではありせん。不思議なのは、その時、私は天神にこう答えるのです:『天神よ。あなたが私にそれを教えてくれてもくれなくても、実際、仏陀の教えは善説なのです。』と。
(彼は、天人が彼に教えてくれるので、仏陀の教えが善説であると信じるのではなくて、自分自身で仏陀の法はまさにその通りであると体験したのである)。
私は天神とこのように話ができるけれども、私はそれをもって傲慢になったりすることはない。
これが七番目の不思議です。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(つづく)
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<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」1999年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>