Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~今更聞けないテーラワーダ(8)

<檀家の話>

檀家(ダンカ)は、パーリ語のダーナ(お布施)が、なまったものだそうです。

インドにおいて、定期的にお寺にお布施をするセレブ、サンガの大保護者の、その呼び名が、ダーナをよくする人→ダンオツ→漢訳で檀家(ダンカ)と変化していったのでしょう。

今、日本では、先祖代々お世話になったお寺を離れて、若い人も、団塊のおじさん、おばさんも、墓じまいをしたい、散骨で結構、檀家だからと言って、定期的に世帯割りのお布施を要求されるのは迷惑、という人が多くなりました。日本の檀家制度は、崩れてきているのですね。

 

所で、テーラワーダですが、テーラワーダには、檀家制度というのはありません。

まず、人々は、自分の好きな僧侶を見つけてきます。近所のお寺の僧侶だったり、遠くだったりします。この僧侶が好き、信頼できる、この僧侶の法話を聞きたい、一緒に瞑想したい、という信頼感、親近感を基礎に、師事するかどうかを決めます。

そうして、好きな僧侶の法話を聞きたいとなったら、タイの人々は、飛行機に乗ってでも、会いに行きます(私の知人は、バンコクから東北タイのお寺へ、飛行機に乗って、よく行っていました。)

お金持ちの家で下働きをしている少女でも、「ナイハン(旦那様)、私は〇〇のお寺に行って法話を聞きたいので休暇を下さい」と言うと、ナイハンは、反対はできないそうです(お寺にも行かせない使用者は、慈悲がない、ということになるのでしょう)。

もっとも、生前、アーチャン・チャーは、「タイ人は修行よりもお布施が好きで困る」「お布施のためにお寺巡りするより、修行の方が大事」と言っていましたので、人間、どこの世界も、楽に流れるというのは、ありえるみたいです。

私がタイの森林寺院に滞在していた時、タイ航空のパイロットたちが、瞑想に来ていました。タイは瞑想休暇というのがあり、有給だそうです。それに、お寺が気に入ると、会社に戻らず、そのまま出家してしまう人もいる、とも聞きました。

仏教は国教ではありませんが、国民全体で、サンガを支えている、という感じです(国民がサンガを支え、僧侶が国民の精神性向上を牽引にする・・・持ちつ持たれつ、ですね)。

中国語の仏教書に<仏法無価>と書いてあるものがありますが、これは、「仏法は、値段がつけられない程貴い」、という意味です。

有給休暇を貰ってリトリートに参加できるタイ人は、波羅蜜がいいのでしょうか、幸せですね。