Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)~213‐11(最終回)

<観禅>

究極名色法と縁起を分析した後、あなたは、次に、観禅の修習に進み(+修習が成功したならば)、それらを無常・苦・無我として観照することができる。

しかし、あなたがいまだ究極名色法と縁起を分析していない前には、あなたは、観禅の修習はできないのである。

なぜか?

というのも、究極名色法と縁起支は、観禅の目標であるから。

もし、あなたが、いまだそれらを識別できるようになる前に、観禅の修習をするならば、それは決して真正の観禅とは言えない。

もし、あなたが他者と、己の幸福に関心を寄せるならば、あなたは、このことを真剣に考慮しなければならない。

三番目の観智は、思惟智(sammasana-ñāṅa)である。これは、組み分けした方式によって、行法を照見する智慧である。

この種の観智を育成するには、行法を組み分けしなければならない。

すなわち、二組に分けるのは:名と色。

五組に分けるのは:五蘊

12組に分けるのは:12処。

18組に分けるのは:18界。

また、別の12組に分けるのは:12縁起支である。

このように分けてから後、一組ごとの無常(anicca)、苦(dukkha)、無我(anatta)と

いう、三つの相を、照見しなければならない。

これは、真正なる観禅の始まりに当たる。

いかなる行法または名色法も、常であり、楽であり、我ではありえないことを確定するために、あなたは、内・外、過去・現在・未来の名色法を無常・苦・無我と照見する必要がある。

そうでなければ、あなたはどうして、外部に恒常の上帝(=神)がいないという事、また、内部に恒常の霊魂がないことを、肯首できるのだろうか?

もし、あなたが、次の「生滅智」の段階まで進んで修習したならば、あなたは、名色法を観照し、なお、「刹那なる現在」または「刹那なる今、ここ」に至るまで、を観照することができる。

その時、あなたは非常にはっきりと、それらがきわめて迅速に生滅していることを見ることができる。あなたは、また、「後生心路過程(=後で生じた心路過程)」でもって、「前生心路過程(前に生じた心路過程)」を、無常・苦・無我として観照することもできる。

「壊滅智」からは、あなたは、行法または名色法の生起を作意しないで、ただ、それらの壊滅を作為する。このような修習の下で、あなたの観智が熟した時、あなたは、ただ行法の壊滅をのみ見るようになる。

(+この時)あなたは内・外、過去、現在、未来の行法の壊滅を、無常・苦・無我として観照するべきである。

このような観照の下で、あなたは、いかなるものも執着するに値しない、諸々の行法の禍を見て、あなたはこのことによって、それらを厭離するようになる。

有為の行法に厭離(+の気持ち)を感じた後、あなたの心は、自然に、唯一なる無為法を求める様になる。それがすなわち、涅槃である。

もし、あなたが過去世において、十分な波羅蜜を蓄積していて、今世では、観禅の修習に十分に精進することができるのであれば、あなたの観智が熟した時、あなたは、涅槃を目標とする道智と果智を証得することができる。

もし十分な時間があれば、私はあなた方に、どのようにして、観禅を修習するのかということについて、詳細な討論をしたいと思う。

しかし、我々は十分な時間を持ち合わせていない。

(+状況が)そうであったとしても、私はあなた方に、己の自身で修習して、観智でもって、それを直接体験することを、勧めるものである。

これは、真正に、不死の涅槃へ趣く道である。

これは、仏教が人類に齎すことのできる、最も殊勝なる利益である。

今夜、私の法話はここまでとする。

一切の衆生が一日も早く涅槃を証悟するように祈願する。

(これにて「菩提資糧」の翻訳は完了します。

拙訳のご講読、ありがとうございました)

(+ )(= )訳者。

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」1999年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>