Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~2-10

どの法門を修行するにしても、五根と7覚支のバランスは大切である。

安般念を修行する時も、当然、例外ではない。

五根の中で、信根と慧根はバランスしなければならず、精進根と定根は、バランスしなければならない。念根は、その真ん中にあって、それらを調整する役割を果たす。

ここにおいて、信根とは、(+我々にとって)安般念の修行は、人をしてその定力を向上させ、禅那(=ジャーナ)を証得する事ができることを深く信じる事である。

信根は、定力の育成に、非常に大きく影響し(+支える事ができるが)、しかし、信根があまりに強すぎ、慧が余りに弱い場合、(+人は)理性のない、盲目的な妄信となり、そのために、高度な修行の成果を得ることができない。

ここで言う慧根とは、正確な修行方法を知ることを言い、慧根が強すぎて、信根が弱すぎる時、毎日高談し、批判と論評を繰り返し、実際の修行を実践・体験しようとはしない。

そのような態度では、もちろん、真正なる利益を得る事は、できない。

精進根とは、努力して、心を息に専注させることであるが、精進根が強すぎて、定根が弱すぎるとき、心は、掉挙・不安(=浮つきと不安感)になる。

ある種の人々は、非常に強い心の力でもって専注すれば、迅速に定力を向上させることができると誤解しているが、実際、彼らは精進根と定根の作用を混同しているのである:

定は、心をして息に専注させるもので、精進とは、背後で、推進と策励する力である。

あまり強力な精進力を費やさなくても、専一を維持できるのであり、専一を保持する時間が長いほど、定力は自然と益々深くなるが、これは五根がバランスできたときの結果(=成果)であり、単に精進力だけを頼って達成できるものではない。

多すぎる精進力は、摂心に役に立たないばかりでなく、気力を無駄遣いし、疲労を呼び、心が浮ついて不安になり、却って定力の向上に、障礙を齎す。

また、定根が強くて、精進根が弱いとき、精進を継続するための推進(+力)が欠ける為、心は懈怠と昏沈(=眠気)に向かってしまう。

五根のバランスのとり方は、正念でもって、この二組をバランスする事であって、(+修行者は)正確な修行方法を理解しなければならないし、また、信心(=確信の心)をもって、実際に練習・実践し、適切な精進力によって、息への覚知を保持できれば、それで十分である;

このように練習・実践に励み、(+息を)覚知できている状態を維持する。息を覚知する正念の持続(+時間)が長ければ長いほど、定力は増々深くなるが、この時、引き続き、適度の精進を保持し、正念を切らさないようにすれば、五根のバランスは達成される。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(2-11につづく)

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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>