Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~3-1

    <転法輪経経文>

私はこのように聞きました。

ある時、世尊がバラナシ付近の、仙人墜処の鹿野苑においでの時、世尊は、五比丘に言いました:

「比丘たちよ。二種類の行為は、出家者が従事してはならないものである。どの二種類であるか?

一種類は、感官の享楽で、それに沈潜してはならない。これは下等で、粗野で、凡夫のもので、非神聖で、利益のない行為である;

もう一つ別の一種類は、自虐的な苦行である。これは苦痛であり、非神聖であり、利益の無い行為である。

この二種類の極端を避け、如来は中道を実践する。

この中道は、徹底的な見を引き起こし、真実の知を引き起こし、寂静、勝智(=優れた智慧)、正覚、涅槃へと向かう。

比丘たちよ。

あの、徹底的な見を引き起こし、真実の知を引き起こし、寂静、勝智(=優れた智慧)、正覚、涅槃へと向かう中道とは何か?

それは八聖道分であり、すなわち、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。

比丘たちよ。

これが、徹底的な見を引き起こし、真実の知を引き起こし、寂静、勝智(=優れた智慧)、正覚、涅槃へと向かう中道である。

比丘たちよ。

これは苦聖諦である:生(=生まれる事)は苦であり、老いは苦であり、病は苦であり、死は苦であり、怨憎会は苦であり、愛別離は苦であり、求めて得られないのは苦である。

簡単に言えば、五取蘊は苦である。

比丘たちよ。

これは苦集聖諦である:それは生まれ変わりを齎す貪愛であり、四方へ愛楽を求めること、すなわち、欲愛、有愛及び非有愛である。

比丘たちよ。これが苦集聖諦である。

比丘たちよ。

これは苦滅聖諦である:すなわち、この貪愛の無余なる滅尽、捨棄、遠離、解脱、無執着である。

比丘たちよ。

これは苦の滅に至る道聖諦である:それは八聖道分であって、すなわち、正見、正思惟、正語、正命、正精進、正念、正定である。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(3-2につづく)

訳者コメント:下線訳者。原文<生>は、生まれると言う動詞である。ときどき見かける<人生は苦である>という訳、解釈は、間違い。非有愛は、死ぬと後がないので(非有)、今を好き放題に生きたいと思う欲。断見の一種。

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>