先日、水中運動に行きましたら、運動仲間たちが<アメリカの大統領戦、クリントンが勝つか、トランプが勝つか>と、話し合っていました。
その中の一人が、「どちらも足のひっぱり合いで、ニュースを聞いていても気分が悪い」と言い、大勢の人が賛同していました。
その方は気をよくしたのか、「こういう状態の政治も嫌だけど、宗教はもっと嫌い」と言いました。
彼は、彼の後ろに私がいることに気が付いて「しまった!」と思ったようですが、綸言汗の如し(私は坊主姿で水中運動に行くので、みなさん、私が尼僧だということを知っている)。
私自身はそんなことを言われても、別になんとも感じていません。
日本は、神道の精神主義を掲げて第二次世界を戦ったものの、神風は吹かず、敗戦。
記憶に近いもので、オウム真理教事件・・・宗教に信頼を寄せろ、という方が無理でしょう。
ただ、少なくとも、私が実践しているテラワーダ仏教は、占いや迷信を禁じていて、己の精神性を向上させることを要求される、因果応報の、徹底的な自己責任の教え。
仏法が分かってくると、自分の幸福も不幸も、原因があるのだとわかって、心が軽くなる(問題は解決できる事もあれば、解決できない事もあるけれど)。
この仏法の素晴らしさを、中国の僧侶はこう表現する・・・「這里有売黄金塊」ここで私は金塊を売っているけれども、誰も買いに来ない(真意は、金塊を無料で配っているけど誰も貰いに来ない)・・・仏法は縁起を説き、因果応報を説く自己責任の教えだから、あんまり人気がない、仏法を教えようとしても、誰も聞いてくれない、という嘆きですね。
私自身は、仏教徒(の数が統計的に)増えればいい、という風には思っていない。
仏法はそんなに簡単に理解できる法ではないし、実践するとなったら、己と厳しく向いあわねばならない・・・それは、如来(出家者)の仕事は、川を逆行するようなものだ、とも言われているほど厳しいから。
縁なきものは、仏法を聞いても理解できない。黄金の価値が分からない。
追いかけて行って、その懐に黄金をねじ込む程、当方も暇じゃない。ま、そんな所。