是誰庵のひとやすみ~政治と仏教
今朝のインターネット記事に「(日本の)資本主義は終わったか」というのがありました。
今後、アメリカは金利を上げる。日本は上げない(上げられない)。そうすると、日本の資金はアメリカに逃げるから、日本は資本主義的経済が回転していかないだろう、という事らしい。
私は、資本主義でも、社会主義でも、民主主義でも、政治で人は幸福にならない、と思っています。
中国は、殷、唐、秦、宋、清など、それなりによい政治を行った、国民を幸福にした時代はあったでしょうけれど、その帝国が続いたためしがない。
権力は必ず腐敗するし、元々、権力そのものが、人々を疎外するものであって、権力が国民を保護し、幸福にするというのは幻想に過ぎない。
シッダッタ太子は、菩提樹の下で悟ってゴータマ仏陀になった後、母国に帰って国王になることはなく、各地を行脚して法(彼の悟った真理)を伝えた。
彼は言う「人生とは恐ろしいものだ。生、老、病、死は恐ろしい。水害、火災、盗賊は恐ろしい。国家とは虎より恐ろしいものだ。なぜなら、国が人民からむしりとる酷税は、虎より恐ろしいものなのだ」と。
一国の国王、為政者になる資格のあった人の、この深い洞察力。
彼が国王になったなら、ネパール国境の小国の王として、名君の名声をほしいままにしたであろうけれども、結局は、周辺の大国に飲み込まれて、彼の存在は、やがては忘れ去られた事だったでしょう。
彼は我々に、人として生まれたなら、どう生きるのが一番よいのかという、普遍的真理を示しました。それは国や民族を越えていたがゆえに、彼の名声、尊敬の念は、2500年たった今も衰える事がない。
仏陀は言う。
他者を頼むな。ただ一人、犀の角のように歩め。
他者とは、国家も含むのだ、と私は思う。