是誰庵のひとやすみ~仏教徒の落とし穴
今、「あなたの世界の終わり」という本を読んでいる。禅的な手法で悟ったマスター(アメリカ人)が、その系譜の人たちへ注意事項を語っているもので、なかなか興味深いことが書いてある。
私(たち)は、一応仏教徒です。
仏陀は涅槃、無為法が一番だと勧めてくれたので、それを目指すのが仏教徒。
有為法である梵我一如より、涅槃の方が難しく、かつ最上の真理だと思い、遥か先にある涅槃を目指す人、それが仏教徒。
しかし、そのような私は、きっと優秀な人間なのだな、と思いなしてしまう所に落とし穴が、ぱっくり口を開けてはいないだろうか?
梵我一如を鼻で笑う仏教徒。
でも、あなたは梵我一如を体験した事がありますか?
その無意味性を体験した者だけが、梵我一如を嘲うことができる。
仏法を学ぶとは、己のエゴが落ちきる事。
エゴが落ちたら、他人を嘲う己は、もういない。
私たちは、すべてのことから学ぶ事ができる。
今よりも、もっともっと、頭と心を低くして。
追加:
タイで聞いた話。
<仏陀はまたこうも言っている「涅槃を目指すのが嫌な人は、天界と人間界を行き来するのがよい」と>。
仏陀は、涅槃だけを目標にせよ、とは言っていない。天界と梵はどう違うのか、今の私にはよく分からないけれど、何を目指そうが、有情は本質において、皆、平等だという事を忘れてはいけない。